神は人を分け隔てしない(1)
〈おもだった人たちからも強制されませんでした。——この人たちがそもそもどんな人であったにせよ、それは、わたしにはどうでもよいことです。神は人を分け隔てなさいません。〉(ガラテヤの信徒への手紙2章6節)
★ある時、ユダヤから一群の人々が、パウロが活動していたシリアやキリキアの教会にやってきて、異邦人は、ユダヤ教の律法に従って割礼を受けるのでなければ、キリスト教徒として認められない=救われないと説きました。彼らはどうも、エルサレムの教会本部の権威を笠に着て、「上から目線」でそうしたことを説いて回っていたようなのです。そこには彼らの人間的な思惑がありました。それは自分たちのユダヤ人としての「優越感」です。
★人はしばしば、自分が人よりも「上」の立場でありたいと望みます。そうして、そのことを示せる目印を見つけようとします。この場合、ユダヤ教の律法の掟に従って割礼を受けているというのがその目印でした。この目印に従って人に優劣の順番を付けるのです。ひとたびそうした順番付けが始まると、それは際限なく広がっていき、すべての人がその順番に沿って並べられることになります。
★その中で自分が一番「上」であったら嬉しいに違いないけれど、いつも自分が一番「上」になれるとは限りません。その時、人は自分よりも「上」に誰かが居ることを認めつつ、でも自分よりも「下」に誰かが居ることで自分を慰めようとする。そして、自分よりも「上」の人の力を借りてきて、自分より「下」の人々を押さえつけようとする。これが、「優越感」の正体かもしれません。別名「権威主義」と呼ばれるものです。(つづく)