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日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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真実のありか(1)


★最近、政治や社会の分野で「ポスト真実」という言葉が語られます。「真実は何か」よりも、たとえそれが嘘や偽の情報でも、自分にとって都合のいいものであるならば、それをあたかも「本当のこと」のように振りかざして、誰かを攻撃したり、自分の利益を得たりすることに利用するのです。「真実なんてどうでもいい。真実なんて時代遅れだ。大事なのは自分の感情、気持ちであり、自分が世の中をどう思っているかだ」ということ。「ポスト真実」というのはそんな「時代の気分」を表す言葉になっています。

★実際、政府による自衛隊の日報隠しや、公文書の改ざん、隠蔽、統計データの改ざん等が繰り返し報じられています。★しかしもっと深刻なのは、そのように真実をないがしろにする姿勢が糺されず、責任を問われもしない今の社会のありようです。真実を見極めないままに社会を動かしていくことは、目をつぶって車を運転するようなものです。それは必ず犠牲者を生み出します。沖縄に暮らす人々の命、あるいは原発の事故の後、苦難を余儀なくされている福島の人々の命がその犠牲とされているように思えてなりません。沖縄は福島の人々だけでなく、目をつぶって車を運転すれば、やがて車自体がどこかにぶつかって大破するでしょう。真実をないがしろにする社会は、その社会そのものが破滅へと向かって進んでいくのです。(つづく)



by oji-church | 2019-07-17 09:25 | 牧師からのメッセ-ジ

逃げていく道で(2)


★十字架に掛けられる時、イエス様は裸に剥がれて、惨めな情けない姿をさらしているのです。その姿はどこかで見たことがある、誰かの姿と同じではないか。それは、あの最後に逃げていった若者と同じ姿です。イエス様は、あの亜麻布を捨てて裸で逃げ去った若者と同じく、いま、裸の姿で十字架に掛けられているのです。しかし、そんな惨めな姿のイエス様を見て、十字架の下に立っていた百人隊長は言うのです。「本当に、この人は神の子だった」と。

★暗い夜の闇の中で、逃げていく若者の道と、捕らえられて引かれていくイエス様の道とは、正反対の方向にどんどんと離れ、広がっていったことでしょう。その間に暗い暗い夜の闇が広がっていきます。でも、そのようにどんどんと離れ、広がっていくように見える道とのその先で、この二人は、イエス様と若者は、同じ裸の姿をしているのです。そして、そんな惨めで、情けなく、恥ずかしく後ろめたい姿をしたイエス様のことを、聖書は「本当に、この人は神の子だった」と告げるのです。

★わたしたちが自分のことを、惨めで情けなく、恥ずかしく後ろめたいと思い、その姿を夜の闇の中に隠してしまいたいと思うことは、生きている中で何度となくあることでしょう。しかし、わたしたちが自分のことをそのようにしか思えない時、暗い夜の闇の中に自分を隠してしまいたいと思うとき、実はそんなわたしたちの傍らに、イエス様が、わたしたちと同じ姿をしながら、しかし「神の子」として、わたしたちと共にいてくださる、ということを、聖書は指し示しているのではないでかと思うのです。


by oji-church | 2019-07-10 14:05 | 牧師からのメッセ-ジ

逃げていく道で(1)

〈弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。一人の若者が素肌に亜麻布をまとってイエスについてきていた。人々が捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸でにげてしまった。〉(マルコによる福音書14章36節)

★マルコによる福音書のイエス様の逮捕の場面には、不思議な一人の若者についての記述があります。この若者のことは他の福音書には出てきませんし、本来、この場面の流れからすれば、必要のない記述です。なぜマルコによる福音書にはこの若者のことが語られているのか、理解に苦しむところです。

★しかし思うに、この若者のことがここに書かれていることによって、わたしたちは、逃げていった弟子たちの、その逃げていく道に思いを馳せることになるのじゃないでしょうか。「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」。そこで終わっていたとしたら、読むわたしたちは「ああ、弟子たちは皆逃げ去って、姿が見えなくなってしまったんだな」と思うだけです。でも、ここに一人だけ、イエス様のあとについてきた弟子がいて、人々にどやされると、慌ててまとっていた亜麻布も捨てて、裸にで逃げてしまったと書いてあることにで、この若者が裸で逃げていったその先に目をこらすことになるのではないかと。

★時は夜でした。若者が逃げていった先は、真っ暗闇だったことでしょう。逃げていったその先の若者の姿を、わたしたちは見ることができません。他方、この場面の先に語られるのはイエス様の姿です。イエス様は大祭司のところへ連れて行かれ、そこで裁判に掛けられています。その先でイエス様は十字架に掛けられるのですが、そのときイエス様はどんな姿をしていたか。そこにヒントがあるように思うのです。(つづく)


by oji-church | 2019-07-03 12:57 | 牧師からのメッセ-ジ