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日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


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その体に触れて(1)

〈イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注いだ。そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」〉(マルコによる福音書14章3〜5節)

★「憤慨して言う」「厳しくとがめる」と重ねて言われているところに、この人たちの彼女に対する強い不満と叱責がうかがい知れます。彼らは口では「香油の無駄遣いではないか。これを売って貧しい人たちに施すことができたのに」と殊勝なことを言っていますが、彼らが胸の内で思っていたのは、こういうことだったろうと想像できます。「女ごときが人の前に堂々と現れて、挨拶もなく、イエス様の体に触れて、香油をバシャバシャ注ぐとは、飛んだ無作法で非常識な女だ」と。彼らは、彼女がなぜイエス様の頭に香油を注いだのか、その意味を理解していないのです。

★でも、わたしたち自身、彼女がイエス様に香油を注ぎかけたその意味を、本当に理解しているでしょうか。後の方でイエス様は彼女の振る舞いを「前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた」と言って感謝しています。実際、壺を壊す行為は、亡くなった人の体に油を塗って、その油の瓶を壊して遺体の傍らに置く風習を表しています。イエス様の頭に香油を注ぐ行為は、亡くなった人の体を香油で清める行為そのものを表しています。でも死人に施すようなそんなことをされるのは縁起でもない、やめてくれと思うのが普通でしょう。でもイエス様はその彼女の振る舞いを喜び、感謝しているのです。わたしたちは果たして本当に、彼女のこの振る舞いと、それを喜び感謝するイエス様の思いを理解していると言えるでしょうか。(つづく)



by oji-church | 2019-05-30 12:04 | 牧師からのメッセ-ジ

戦争〉の手足をもぎとって

〈憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら—読者は悟れ—、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。……それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。このことが冬に起こらないように、祈りなさい。それらの日には、神が天地を造られた創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難が来るからである。主がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。〉(マルコによる福音書13章14〜20節)

★ここで語られているのは戦争の実相です。「縮める」と訳されている言葉の元の意味は「手足などを切断して不具にする」という意味だと辞書にありました。「不具」というのは体にしょうがいを持つ人に対する差別的な言葉です。なんのために「人の手足を切断して不具にする」なんて酷いことをするのかよく分かりませんが、そんな言葉がギリシア語にはあるのです。でもここでは、その言葉が戦争に対して使われています。ここで言われているのは、神様が指先をちょろっと動かして、戦争の期間を「短くしてあげる」なんて軽いことではなく、神様は戦争というものと取っ組み合って、戦争の手足をもぎ取って、神様が戦争そのものを不具にされる。戦争なんてできないようにされる。そんな情景が浮かび上がってきます。

★戦争という状況に対して、人は何をよりどころとして、何を目指して、どのように生きていくのか。それは、すべての命を愛して、命を破壊して止まない戦争に向かって、戦争の手足をもぎ取って二度と戦争などできないように今も立ち働いている神様にわたしたちは従っていくこと、そんな神様の働きを受けとめ、神様の思いを伝える者として生きること、そして神様と共に、すべての命を愛して生きること、そういうわたしたちの生き方が、ここで呼びかけられているのではないでしょうか。



by oji-church | 2019-05-22 15:33 | 牧師からのメッセ-ジ

熱狂でも、無関心でもなく


★先週は、テレビをつければ5秒に一度は「令和」という言葉が連呼され、あたかも全世界が改まったかのようなお祝いムードが報じられました。一方、5月3日は憲法記念日でしたが、一部の人たちを除いては、そこで憲法のことが顧みられた様子はありません。一方にお祭り騒ぎやお祝いムードには熱狂が沸き起こり、しかし他方では現実の国や社会のありように対しては無関心が覆っているのが、いまのこの国のありようではないかと思います。

★熱狂と無関心は正反対のふるまいのように思えますが、実は表裏一体です。いずれもが現実を見えなくさせ、やがて人の命を奪うことへと行き着きます。キリスト教もしばしば熱狂に冒されてきました。ヨーロッパの中世の十字軍という熱狂。異端審問という熱狂。その中で多くの人たちが虐殺され、宗教改革の時代には、カトリックもプロテスタントも「異端」を殺すことに熱狂しました。その後、大航海時代以降はアジアやアフリカの地域を植民地とするのと並行して「世界伝道」の熱狂の中で、現地の人々がもともと信じていた宗教を弾圧し、やはり多くの人の命を奪いました。

★20世紀、人々は戦争に熱狂し、何千万という人が命を奪われました。21世紀に入っても、2001年9月11日の同時多発テロを発端として、アフガニスタン、イラクでの戦争の熱狂がありありました。わたしたちはいまも、そんな熱狂の余波の中で生きているのかもしれません。そんな熱狂に巻き込まれたくないという思いから、この世の事柄に無関心になる人もいますが、でも無関心は結局、熱狂による暴力を野放しにし、容認することにしかなりません。熱狂の渦に巻き込まれるのでなく、しかし無関心に陥ってしまうのでもない生き方が求められるのではないでしょうか。



by oji-church | 2019-05-16 14:17 | 牧師からのメッセ-ジ

歴史をつなげて、〈いま〉を生きる


★天皇が代替わりし、元号が「平成」から「令和」となるそうです。わたし自身はもう長らく日常生活で元号は使っていないので、そもそも今年が「平成」何年だかもよく分からないのです。歴史を勉強する者にとって元号ほど不便なものはありません。「明治何年」「大正何年」「昭和何年」と言われてもそれが今から何年前のことなのか、同じ年に外国では何があったのか、計算し直して見なければ分からないのです。

★日本人は他の国や地域の人たちと比べて、自国の歴史を他の国や地域の歴史と繋げて、また自分自身に繋げて考えることが不得意だと言われます。それは、もしかしたらこの元号のせいではないかという気がしてくきます。元号が変われば、過去は現在との繋がりを失い、やがて消え去り、忘れ去られていくのです。また同時に、日本以外の国や地域との繋がりも失われ、日本にとって都合のいい歴史解釈だけが横行するようになります。

★天皇あるいは天皇制というのは、そもそもが国民を一つの方向に仕向けるために用いられる「道具」なのです。天皇はそのように自分が「道具」として用いられることを、拒否できません。いま、人々がこぞって天皇を礼賛し、天皇の姿に熱狂して一色に染まる様子を見るにつけ、わたしはおそれを禁じ得ません。戦争前も人々は同じように天皇を礼賛し、天皇に熱狂しました。時の政府はそれを最大限に利用して、戦争へと人々を導いていったのです。その歴史をかえりみるとき、「果たして今のこの状況は、わたしたちにとって『よいもの』なのだろうか」という疑問が湧いてきます。歴史とつながって、歴史をかえりみることが、わたしたちを立ち止まらせ、未来を深く考えさせます。そのように自分を歴史に繋げて考えることは、わたしたちが「いまを生きる」上で、是非とも必要なことなのです。


by oji-church | 2019-05-08 13:17 | 牧師からのメッセ-ジ
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by oji-church | 2019-05-02 14:37 | みちばたの教会