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日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


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途方に暮れれば(1)

〈イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。〉(マルコ10章23〜26節)

★「弟子たちを見回して」という何気ない一言に心引かれます。せっかく福音を求め、自分を慕ってやってきた人が、気を落として悲しみながら去っていく、その背中を見送り、姿が見えなくなれば宙をさまようしかなかったイエス様のまなざしが、今は傍らの弟子たちを見回しています。まなざしは行き場を探しているのです。イエス様は、弟子たちに慰めてもらいたかったのじゃないか。伝道に失敗したのです。自分の不甲斐なさ、情けなさ、悲しみを弟子たちにも分かち持ってもらいたかったのじゃないか。

★でも弟子たちは何も言ってくれないから、仕方なく自分で言います。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか」。それは言い訳。もっと説得力があれば、彼にも伝わったかもしれません。だから言い直す。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか」。金持ちに限らず、人が福音を受けとめて、神様と共に歩み出すことは容易ではありません。「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」。「金持ちが」という言葉は後から付け加えられたような気がします。それは弟子たちの反応を見れば分かります。「金持ちが神の国に入るのが難しい」というだけであれば、「だれが救われるのだろうか」と問う必要はありません。答えは簡単。金持ちでない人が神の国に入るのですから。でも弟子たちがこうして驚いて、いぶかしがるのは、金持ちばかりでなく、誰もが「神の国に入るのは難しい」「らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」と言われたからでしょう。(つづく)



by oji-church | 2019-01-31 13:58 | 牧師からのメッセ-ジ

「わたし」と「あなた」とのあいだに(2)

★(承前)わたしたちは、ホモ・サピエンス一個体として生きているのではありません。「わたし」という者を生きているのです。そしてそのわたしは、自分がどこから来たのか分からないという不安の中、暗がりの中に生きています。そんなわたしに向かって、だれかが「あなた」と呼びかけてくるのです。最初はびっくりするかもしれません。でも、「あなた」と呼びかけられることによって、わたしは暗がりの中にあっても、決してひとりぼっちじゃないということに気づかされます。

★わたしがいて、そのわたしを「あなた」と呼びかける誰かがいる。それはホモ・サピエンスが二個体いるという以上のことです。「あなた」と呼びかけらて、わたしは暗がりの中でもひとりぼっちじゃないことを知らされ、少しばかりの勇気を持つことができるようになる。そしてまた、その声は言います。「あなたはわたしの愛する子」。その声はただわたしに向かって「あなた」と呼びかけるだけじゃない。このわたしのことを「愛している」、大切に思っている、と言う。いやそれ以上。「愛する子」とは、自分につながっている者として、責任をもって大切に思っているということでしょう。

★「わたしの心に適う者」。ここのところは元のギリシア語の聖書では「わたしはあなたのことを喜ぶ」と書かれています。わたしがここにいるということが、その人にとって「うれしい」ということ。わたしに向かって「あなた」と呼びかけるその人が、わたしがここにいることを嬉しく思っている。喜んでいる。どこから来たのかも分からないわたしなのに。この呼びかけによって、わたしは、自分がどこから来たのか分からなかったとしても、いまここにいる自分がとても大切な存在なのだと分かるようになる。そして誰かにとって大切な存在であるこのわたしを、誰かを幸せにすることができるこのわたしを、生きていこう、生かしていこうという気持ちが沸き出してくる。どこから来たのか分からなかったとしても。



by oji-church | 2019-01-24 13:03 | 牧師からのメッセ-ジ

「わたし」と「あなた」とのあいだに(1)

〈そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて霊が鳩のようにご自分に降ってくるのを、ご覧になった。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた〉(マルコによる福音書1章9〜11節)

★ここでイエス様はどこからともなく登場します。「ガリラヤのナザレから来て」とありますが、マタイやルカの福音書にはイエスの誕生物語があるのに対して、マルコによる福音書にはなぜイエス様が「ガリラヤのナザレ」から来ることになったのか説明がありません。このイエス様の登場は、わたしたちの人生にありように似ています。わたしたちも、どこからともなくこの世に現れて、気付いた時にはもう、生まれて生きてしまっていましたから。わたしたちは自分がどこから来たのか分からないのです。どこから来たのか分からないので、どこへゆくのかもよく分かりません。それでわたしたちは、人生の中でいつもどこかに不安を抱えています。

★近頃AI(人工知能)という言葉をよく耳にするようになりました。わたしたちに分からないことでも、AIがわたしたちの代わりに考えて、正しい答えを見つけてくれるように言われることも少なくありません。でも果たしてAIは、わたしたちがどこから来てどこへゆくのか、この問いに答えてくれるでしょうか。

★科学では人はただの生き物と見なされます。人が一人いれば、ホモ・サピエンスという生き物が一個体いるということですし、二人いたら二個体いるということです。でもわたしたちは、ホモ・サピエンス一個体として生きているのではありません。「わたし」という者を生きているのです。そしてそのわたしは、自分がどこから来たのか分からないという不安の中、暗がりの中に生きています。それがわたしたちとAIとの違うところです。(つづく)



by oji-church | 2019-01-16 14:02 | 牧師からのメッセ-ジ

災いの中に平和の種をまく


〈バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう、と主は言われる。〉(エレミヤ書29章10〜14節)

★2018年を表す漢字に「災」という字が選ばれました。自然災害のみならず政治や国同士の関係を見ても良いことよりも「災い」と見えることの方が多く感じられます。

★預言者エレミヤは、ユダの国がバビロニアに滅ぼされ、捕囚として連れ去られた人々が戻ってくるこられるのは70年後と語ります。連れ去られた人たちその人はもう生きてユダに帰ってくることができません。しかしエレミヤはそれを、神様の「平和の計画」であって「災いの計画」ではないと語ります。

★エレミヤはこうも語ります。「エルサレムからバビロンへ捕囚として送ったすべての者に告げる。家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。……わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから」(エレミヤ29章4〜7節)。

★力を持つ人々が、我勝ちにじぶんの都合だけを優先しているのが、現代の「災い」を生み出していると言えるでしょう。自分に不都合と思える状況にあっても(捕囚として送られた)、他者(その町)の平和を求める時、むしろわたしたちにも平和が訪れるのです。そのとき、厳しい時代の中にあっても、神様はわたしたちと共におられ、わたしたちは、本当の平和を見いだすことができるのでしょう。



by oji-church | 2019-01-09 10:28 | 牧師からのメッセ-ジ

年の終わりに——終わったことにしないで

★2018年最後の日曜日になりました。皆さんにとってどんな年だったでしょうか。2月・3月にはお隣の韓国で北朝鮮も参加して冬季オリンピック・パラリンピックが開催され、4月には南北会談で両国の首脳が38度線を越えて行き来し、朝鮮戦争の終戦を目指す「板門店宣言」が出されたことは歴史に残ることでした。しかし日本では、韓国政府が2015年の日本軍「慰安婦」に関する「日韓合意」について「被害者を排除して解決を図ったことは間違いだった」と表明したことや、戦時下の徴用工について韓国の裁判所が賠償命令を出したことから、韓国に敵対的な論調が目立っています。日本政府は「あの戦争」を「終わったこと」として忘れようとしますが、被害を受けた人たちにとっては戦争はまだ終わっていないことを思わなければなりません。平和は、戦争を忘れることで訪れるものではなく、銘記して二度とそのようなことが起こらないように、いまここで、力ではなく対話による理解を深めていくことによって作られるものです。7月にオウム真理教事件に関わった死刑囚の人たちが次々に処刑されました。これもまた力によって「終わったこと」にしようとしているように思えます。

★6月には大阪で地震があり、7月の豪雨では200人以上の方々が亡くなりました。9月の北海道での地震でも多くの人が亡くなりました。温暖化による気候変動は人間が招いている側面が強くあります。寺田寅彦という人が「災害は忘れたころにやってくる」と言いました。自然は「忘れないように」とわたしたちに警告しているように思えます。


by oji-church | 2019-01-03 13:54 | 牧師からのメッセ-ジ