日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


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受難節第2主日
2月25日(日)午前10時30分
説教「神の宣教」
山本光一牧師(京葉中部教会)

【聖書】ルカによる福音書15章1~3節
【讃美歌】29.448.280.200.64.88.
【招詞】イザヤ57章15節
【交読文】イザヤ書42章1~7節

by oji-church | 2018-02-22 11:33 | 全体のお知らせ
「夜昼、寝起きすることは」

〈神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。〉(マルコによる福音書4章26~27節)。

★イエス様のこのたとえ話を聞いていた人たちは、貧しい農民だったでしょう。権力者たちから「生かさず、殺さず、搾り取れるだけ搾り取られる」、そんな生活を送る人たちです。今日と明日を生きるために、夜昼、ただただ寝起きするためだけにも、畑に出て種まきをしなければならなりません。こんなことしていたって、ちょっとでも暮らしが楽になるわけでもないのに、というため息混じりにも。
★今日と明日、ただ夜昼寝起きするためだけに、種まきに出かけていくという、イエス様の話を聞く農民にとっては当たり前のツマラナイ光景を、しかしイエス様は「神の国は次のようなものである」と言われるのです。イエス様は「いやいや、そうでもないぞ」と言うのです。「今日と明日を生きるために、畑に種まきに出かけていくことは、決してツマラナイことなんかじゃないぞ。それは、ひょっとすれば、この世界全体を創って、取り仕切っておられる神様の働きと、どこかで繋がっているかもしれないぞ」。そう伝えることが、もしかしたらイエス様がこのたとえ話を語った意味だったのかもしれません。(つづく)
by oji-church | 2018-02-22 11:31 | 牧師からのメッセ-ジ
「ともし火としての悲しみと喜び」

〈ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか。隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められているもので、公にならないものはない〉(マルコによる福音書4章21~22節)。

★ここで「ともし火」と言われているのは、イエス様が宣べ伝えた「神の国」の福音のことでしょう。この世界は神様が創られたもの。そこに生きるすべての命あるもののために神様は、今日も働いておられ、わたしたちの命を養い回復される。それが「神の国」の福音というものです。
★そんな「神の国」の福音は、特定の限られた人たちだけに打ち明けられるのではなく、この空の下に生きている「みんな」に打ち明けられるはずのものだ、というのが、ここでイエス様が言われていることなのだと思います。
★「ともし火」という小さなものが、みんなを照らす「神の国」という大きなものに繋がっていることが語られています。わたしたちは日々の生活の中で、いろいろな小さな出来事を経験し、その中で、それぞれに小さな喜びや悲しみや痛みを経験するものです。そんな小さな経験の一つ一つを互いに打ち明け合い、受けとめ合いして分かち合う積み重ねの中から、神の国という大きな喜びが、わたしたちのもとを訪れるということではないかと思います。
★わたしたちの日々経験する小さな出来事の中での喜びや悲しみの中にこそ、「神の国」の大きな喜びが秘められており、それはみんなを照らすともし火となるのだ。「神の国」の大きな喜びは、わたしたちの、お互いの小さな経験を打ち明け合い、受けとめ合い、分かち合う積み重ねの中から、いつかきっと必ず、みんなが分かる仕方で明らかになる。イエス様の言葉は、そんな希望をわたしたちに告げています。
by oji-church | 2018-02-13 11:59 | 牧師からのメッセ-ジ
「食べる」

★先週月曜日、胃と腸の内視鏡検査を受けました。このところ三年連続で腸にポリープが見つかり、毎年検査を受けるハメになっています。検査前日は検査しやすくするために三食いわゆる「検査食」を食べます。検査当日は絶食。ポリープが見つかって切除すると、一晩入院させられ、終日食事はオアズケ。翌日も一日検査食です。今回もやはりポリープが見つかり、検査食→検査→入院→絶食→検査食のコースを辿りました。検査そのものはもう慣れて、どうってことないのですが、問題は検査食。決してまずくはないのですが、如何せん量が少なく空腹とのたたかいになります。空腹と言っても決して「飢餓」ではないのですが、わたしはどうもこれが苦手のようです。目につく食べ物すべてが美味しそうに見えて、しまいにはウチで猫が食べているキャットフードまでウマそうに見えてくる始末。
★ハタと気付いたのは、普段自分が多分に〈食べる〉ことでストレス解消しているらしい、ということでした。決してゼイタクなものを、あるいは大量に食べているわけでもないのですが、どうやら〈食べる〉ことで気分転換しているらしいのです。それが無くなる、あるいは充分な量でないと落ち着かず、身の置き所がなくなってくる。普段あまり物事がメンタルに響かない鈍感なわたしですが、空腹が一番メンタルに響くことが分かりました。
★わたしを痛めつけたければ、「食べさせない」ことが最大の攻撃です。これもヒトの性(さが)かもしれませんが、ともあれ精神衛生を〈食べる〉に依存しているのはあまりいいことではありません。問題が分かって、さてこれをどう克服すべきか、今のところ見当がつきません。ちょうどいい〈食べる〉は、どのあたりにあるのか、お知恵をいただければと思います。
by oji-church | 2018-02-07 11:13 | 牧師からのメッセ-ジ