対象 赤ちゃん~中学生(高校生は10時30分からの大人の礼拝へもどうぞ!)
礼拝 賛美歌を歌ったり、聖書を読んだり、聖書のお話を聞くなどをします。
分級 ゲームをしたり、公園に遊びに行ったり、お菓子を作ったり、友だちと仲良くなれる時間です。
持ち物
・献金(自分の気持ちで、神様のご用のために捧げられるだけ)
・小さなカバンを持ってくると便利ですね!
☆聖書と賛美歌は、教会に用意があります。
主な行事
4月・・・イースター礼拝
5月・・・ペンテコステ礼拝
6月・・・花の日(こどもの日)礼拝
7月・・・キャンプにいったり、バーベキューをしたり・・・
8月・・・創立記念礼拝
11月・・・収穫感謝礼拝
12月・・・クリスマス礼拝
王子教会学校は・・・
・ひとり一人の友だちをたいせつに・・・
・楽しく、ほっとできる、そして・・・
・誰もが来られる教会学校です。
★先週は、教会学校の子どもたちと葛西臨海公園に遠足に出かけました。桜の花の下でお弁当を食べ、食後は、子どもたちと鬼ごっこをさせられて、クタクタに。久しぶりに走って、死ぬかと思いましたけれど。
★都会の生活の中で、どこか自然に溢れるところへいきたいなあ、としばしばあこがれます。それで実際に、自然の中に行くと、はじめはワクワクしているのですが、行ってみると、結局「なあんだ、こんなものか…」という程度の感想しか持ち得ない。そんなことがしばしばありました。「何なのだろう、このガッカリさ加減は?」と思っていました。それが、ある本を読んでから、自然の味わい方を少し変えてみました。
★「音をきくこともまた、実に優雅な楽しみをもたらしてくれます。ただし、すこしだけ意識的な訓練が必要ですけれども。…雷のとどろき、風の声、波のくずれる音や小川のせせらぎなど、地球が奏でる音にじっくりと耳をかたむけ、それらの音が何を語っているのか話し合ってみましょう。そしてあらゆる生き物たちの声にも耳をかたむけてみましょう。子どもたちが貼るの夜明けの小鳥たちのコーラスにまったく気がつかないままで大人になってしまわいないようにと、心から願っています」(レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』)。
★『沈黙の春』で環境破壊にいち早く警鐘を鳴らしたレイチェル・カーソンは、自然を単に「景色」としてだけでなく、五感をフルに働かせて感じ受ける訓練を教えてくれます。以来、都会の中でも、ちょっとした自然の中にいけば、よく耳を澄ませてみることにしています。すると、単に「目に美しい自然」というだけでなく、鳥の声、風邪の音、そこにいのちが息づいていることを感じ受けることができるのです。王子の飛鳥山公園でだって、それは可能です。都会生活で忘れてしまうのは、自然の「見た目」だけではなく、音やにおいや肌に触れる感触等々、いろいろなものがあるようです。(大久保)
★先週、クルド人とフィリピン人のご夫妻、タスクンさんとベルトランさん、またその間のお子さんジランちゃんの家族が、日本での特別在留許可を得られたとのニュースがありました。最近、王子教会で北支区国際宣教委員会主催の集会で、このご家族のお話をお聞きしたばかりでした。また、教会では、ご家族の在留許可を求める署名も呼びかけさせていただき、ご協力を頂きました。
★久しぶりに嬉しいニュースです。テレビでニュースを聞いて、早速わたしのところに電話やメールをしてくださった方もありました。何よりも嬉しいのは、そのように気に掛けてくれる人がいて、喜びをわがことのように喜んでくれる方のいることです。
★このような、解決の難しい社会的なことがらに関わることは、骨が折れ、気苦労も多いことですが、このような時、本当に人の喜びが、わが喜びとなる、という恵みを味わうことが出来ます。こうしたことこそが、わたしたちが「生きている」ことの、本当の意味での「証し」なのではないかと思います。「生きる」とは、自分とは違う誰かと、気持ちを分かち合うことなのだ、と。
★しかしなお、日本で、他に生活の場を持たず、在留資格を待ち望みながら得られないでいる多くの人たちのいることを覚えます。なにゆえ、日本の社会は、これほどまでに外国の人たちに対して、冷たい社会なのでしょうか。「人間」というものを受けとめる幅が、あまりにも小さいのでしょうか。そんな日本人ばかりではないと思うのですが、集団的な日本人の体質として、文化や民族の多様性というものに対する不寛容が根付いているように思えてなりません。
★しかし、自分とは違う誰かと気持ちを分かち合うことが「生きる」ということだと思うなら、このような不寛容は、まさに日本人にとって「死」を意味するものでしょう。死んだように生きるのではない、もっと別の道を願い求めたいものです。(大久保)