人気ブログランキング |

日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


by oji-church
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

2018年 06月 13日 ( 1 )

「神様の言葉を生きる」

〈「あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。……あなたたちは受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。」〉(マルコによる福音書7章8・13節)。

★ここでは、「人間の言い伝え」と「神の言葉」とが対比されています。人は自分が大事にしているものが他の人からも大事にされることを望むものです。それ自体は悪いことではないと思います。けれどもそれが、いつの間にか、「自分が大事にしているもの」ではなく「自分自身」になり、「大事にされる」が、「強く大きく、人を圧倒する立派さを備える」に変わってしまうことがある。宗教というのは、そのように変質してしまう危険をいつも孕んだものなのでしょう。
★神様の言葉って、もともとは、大事なことが、人を問わず、立場を問わず、肩書きを問わず、資格を問わず、地位を問わず、みんなで一緒に大事にされることをこそ、望み求めるものだったのじゃないか。それがいつの間にか、現代の教会でも、地位や肩書きや、立場や資格が問われ、神様の言葉そのものよりも、地位や肩書きや、立場や資格の方が有り難がられる、そんな面もあるのじゃないかと思うのです。
★神様の言葉が呼びかけること、それは大事なことをみんなで一緒に大切にすること。そこには人の大きさや強さや立派さは全く関係ありません。むしろだれもが、それぞれに大きさではなく小ささを、強さではなく弱さを、立派さではなく情けなさを抱えながら生きています。その小ささ、弱さ、情けなさに寄り添うのが神の言葉なのでしょう。神様の言葉は、強く大きく、立派に祭り上げるためのものではありません。神様の言葉は、人を問わず、地位も立場も、資格も肩書きも問わず、みんなで一緒に大切にし、わたしたち自身がそれを「生きる」ためのものなのでしょう。
by oji-church | 2018-06-13 15:08 | 牧師からのメッセ-ジ