4月6日の週報コラム「ひだり手」
★先週は、教会学校の子どもたちと葛西臨海公園に遠足に出かけました。桜の花の下でお弁当を食べ、食後は、子どもたちと鬼ごっこをさせられて、クタクタに。久しぶりに走って、死ぬかと思いましたけれど。
★都会の生活の中で、どこか自然に溢れるところへいきたいなあ、としばしばあこがれます。それで実際に、自然の中に行くと、はじめはワクワクしているのですが、行ってみると、結局「なあんだ、こんなものか…」という程度の感想しか持ち得ない。そんなことがしばしばありました。「何なのだろう、このガッカリさ加減は?」と思っていました。それが、ある本を読んでから、自然の味わい方を少し変えてみました。
★「音をきくこともまた、実に優雅な楽しみをもたらしてくれます。ただし、すこしだけ意識的な訓練が必要ですけれども。…雷のとどろき、風の声、波のくずれる音や小川のせせらぎなど、地球が奏でる音にじっくりと耳をかたむけ、それらの音が何を語っているのか話し合ってみましょう。そしてあらゆる生き物たちの声にも耳をかたむけてみましょう。子どもたちが貼るの夜明けの小鳥たちのコーラスにまったく気がつかないままで大人になってしまわいないようにと、心から願っています」(レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』)。
★『沈黙の春』で環境破壊にいち早く警鐘を鳴らしたレイチェル・カーソンは、自然を単に「景色」としてだけでなく、五感をフルに働かせて感じ受ける訓練を教えてくれます。以来、都会の中でも、ちょっとした自然の中にいけば、よく耳を澄ませてみることにしています。すると、単に「目に美しい自然」というだけでなく、鳥の声、風邪の音、そこにいのちが息づいていることを感じ受けることができるのです。王子の飛鳥山公園でだって、それは可能です。都会生活で忘れてしまうのは、自然の「見た目」だけではなく、音やにおいや肌に触れる感触等々、いろいろなものがあるようです。(大久保)