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日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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by oji-church
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10月18日の週報コラム「ひだり手」

教会にとって他人事ではありません。(その2)

★現在、人間の生きている世界は〈国家〉と〈社会〉の二つによって成り立っています。〈社会〉の無い〈国家〉は独裁国家になります。〈国家〉の無い〈社会〉は無秩序になるでしょう。〈国家〉と〈社会〉は互いに向き合い、対抗・緊張し合う関係を保つことによって人間のよりよい生存が図られます。〈国家〉が〈社会〉を無視して恣意的に振る舞えば、やがて人間の生存を脅かすことになるでしょう。

★自由というもの、学問の自由・言論の自由・表現の自由・思想信条の自由・集会結社の自由・信教の自由も含め自由というものは、国家の恣意と対抗関係にあるものですね。それは〈社会〉と〈国家〉の対抗関係と重なります。この対抗関係(あるいは緊張関係)が維持されることによって〈社会〉の健全性が保たれ、〈国家〉は恣意性を抑制され腐敗を免れます。この対抗関係を維持することが〈社会〉・〈国家〉のいずれもが保たれ、人間が生存していく為に大切なことでしょう。そしてそのためには代表者を選ぶ権利が社会の側に保持されていることはとても大切なことではないでしょうか。日本国憲法十五条「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」とはこのことを言っているのではないでしょうか。

★学術会議は社会と国家の接辺として設けられているものであって単なる〈行政機関〉ではありません。現政権は現憲法十五条と六十五条「行政権は内閣にある。」をごっちゃにして強弁していますが、代表者を選ぶ権利と行政権とは別物だと思います。現憲法が行政権は内閣にあると言っているのは、明治憲法において、天皇が「統治權ヲ總攬シ」(第四条)とあったのに対する民主化であって、内閣が恣意的に権力をふるっていいという意味ではないのじゃないでしょうか。法律や憲法の専門家ではありませんが、わたしなりに考えてみたことです。


by oji-church | 2020-10-21 08:31 | 牧師からのメッセ-ジ