7月7日の週報コラム「ひだり手」
逃げていく道で(2)
★十字架に掛けられる時、イエス様は裸に剥がれて、惨めな情けない姿をさらしているのです。その姿はどこかで見たことがある、誰かの姿と同じではないか。それは、あの最後に逃げていった若者と同じ姿です。イエス様は、あの亜麻布を捨てて裸で逃げ去った若者と同じく、いま、裸の姿で十字架に掛けられているのです。しかし、そんな惨めな姿のイエス様を見て、十字架の下に立っていた百人隊長は言うのです。「本当に、この人は神の子だった」と。
★暗い夜の闇の中で、逃げていく若者の道と、捕らえられて引かれていくイエス様の道とは、正反対の方向にどんどんと離れ、広がっていったことでしょう。その間に暗い暗い夜の闇が広がっていきます。でも、そのようにどんどんと離れ、広がっていくように見える道とのその先で、この二人は、イエス様と若者は、同じ裸の姿をしているのです。そして、そんな惨めで、情けなく、恥ずかしく後ろめたい姿をしたイエス様のことを、聖書は「本当に、この人は神の子だった」と告げるのです。
★わたしたちが自分のことを、惨めで情けなく、恥ずかしく後ろめたいと思い、その姿を夜の闇の中に隠してしまいたいと思うことは、生きている中で何度となくあることでしょう。しかし、わたしたちが自分のことをそのようにしか思えない時、暗い夜の闇の中に自分を隠してしまいたいと思うとき、実はそんなわたしたちの傍らに、イエス様が、わたしたちと同じ姿をしながら、しかし「神の子」として、わたしたちと共にいてくださる、ということを、聖書は指し示しているのではないでかと思うのです。