3月31日の週報コラム「ひだり手」
天使の翼は生えているか(1)
〈あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ〉(マルコによる福音書12章24節)
★牧師という役目を負いながら、幾人かの方々を看取ってきました。しかしどんなに寄り添おうとしても、死を越えてその向こう側まで寄り添うことはできません。その方が息を引き取られれば、すぐにご葬儀の手配やら準備やら実際的な作業に切り換わるというのが牧師という仕事の性分です。その傍らで感じていたのは、死というものの「絶対的な冷たさ」でした。人のいのちは死ねば、もうそこで終わりなのだ。それはもうどうすることもできないのだ。そういう死というものの厳然たる事実を冷静に受けとめることが大切なのだ、と、そんな声がわたしの胸の内にこだましていました。
けれども人間というのは、どれだけ現実が厳しく冷たいものであったとしても、それでもなお、その冷たい現実を越えたところにある「幸福」というものに向かって思いを巡らし、想像の翼を羽ばたかせてきたのではないだろうか。その中から、一人ひとりの人間が幸せに生きる、つまり、ほんとうに人間らしく生きるという営みも、一歩一歩形作られてきたのじゃないだろうか。そうであるならば、それがどんなに非現実的な想像であったとしても、それを嘲ることは、やっぱりよくないことなのじゃないだろうか。そんなふうに思うようになりました。(つづく)