1月20日の週報コラム「ひだり手」
「わたし」と「あなた」とのあいだに(2)
★(承前)わたしたちは、ホモ・サピエンス一個体として生きているのではありません。「わたし」という者を生きているのです。そしてそのわたしは、自分がどこから来たのか分からないという不安の中、暗がりの中に生きています。そんなわたしに向かって、だれかが「あなた」と呼びかけてくるのです。最初はびっくりするかもしれません。でも、「あなた」と呼びかけられることによって、わたしは暗がりの中にあっても、決してひとりぼっちじゃないということに気づかされます。
★わたしがいて、そのわたしを「あなた」と呼びかける誰かがいる。それはホモ・サピエンスが二個体いるという以上のことです。「あなた」と呼びかけらて、わたしは暗がりの中でもひとりぼっちじゃないことを知らされ、少しばかりの勇気を持つことができるようになる。そしてまた、その声は言います。「あなたはわたしの愛する子」。その声はただわたしに向かって「あなた」と呼びかけるだけじゃない。このわたしのことを「愛している」、大切に思っている、と言う。いやそれ以上。「愛する子」とは、自分につながっている者として、責任をもって大切に思っているということでしょう。
★「わたしの心に適う者」。ここのところは元のギリシア語の聖書では「わたしはあなたのことを喜ぶ」と書かれています。わたしがここにいるということが、その人にとって「うれしい」ということ。わたしに向かって「あなた」と呼びかけるその人が、わたしがここにいることを嬉しく思っている。喜んでいる。どこから来たのかも分からないわたしなのに。この呼びかけによって、わたしは、自分がどこから来たのか分からなかったとしても、いまここにいる自分がとても大切な存在なのだと分かるようになる。そして誰かにとって大切な存在であるこのわたしを、誰かを幸せにすることができるこのわたしを、生きていこう、生かしていこうという気持ちが沸き出してくる。どこから来たのか分からなかったとしても。