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日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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11月11日の週報コラム「ひだり手」

いのちの価値のありか(1)

〈ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニア出身で、ラザロといった。〉(ヨハネによる福音書11章1節)。

★ここではラザロという人が、名前よりも先に「ある病人」と紹介されています。もしかしたらそれは、このラザロという人が相当に長い月日にわたって病を患っていたことを表しているのかもしれません。「病人」と訳されている言葉は、「力のない、弱い」という意味の言葉です。当時、一般の民衆の人間としての価値は何によって測られたかと言えば、それは労働力としてでした。ほとんどは農民でしたから、十分に農作業に携わり、十分に実りを生み出す力を持った成人男性こそが、もっとも価値のある人間と見なされました。女性や子どもはその傍らにあって男性の所有物と見なされていました。そのような社会の中で、病気であること、そして、その病気が治らず、長い月日、労働に携わることができない者は、まさに「力のない、弱い」存在、価値の低い存在と見なされたのです。現在でもそのような価値観で人間を測ろうとする人がいます。国政に携わる人が、「LGBTには生産性が無い」という発言をして問題になったことは記憶に新しいことです。

★ラザロという人は、病のゆえに「無力で、弱く」価値がない人間であると思われていたのかもしれません。しかしイエス様は、ラザロの病気の知らせを受けて、こう言われます。「この病気は死で終わるものではない」。わたしはこのイエス様の一言のうちに、単にこの病気で死ぬことはない、という楽観論以上のものを感じるのです。病気のゆえに、ラザロは価値の無い人間であるというレッテルを貼られてしまうことに対する憤り、とでも言いましょうか、イエス様はむしろラザロはこの病気によって、「神の子としての栄光を受けるのだ」と言われます。(つづく)



by oji-church | 2018-11-17 11:09 | 牧師からのメッセ-ジ