11月4日の週報コラム「ひだり手」
振り返れば、そこに福音
〈もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい〉(マルコによる福音書9章43節)。
★マルコによる福音書は、「十字架のイエスに従う」をテーマに書かれています。でもこの福音書を読み進めるうちに明らかになるのは、最後までイエス様に従いきることのできた弟子は誰一人いなかったということです。実は弟子にとって、そういう自分たちのふがいない有様を振り返ること以上に、わが身を切るように辛く痛みを伴うことは無かったのではないでしょうか。でもこのマルコによる福音書が訴えているのは、まさにその最も辛いこと、「弟子」を自称しながら、「イエスに従う」ことができず、イエス様を裏切り、見捨てて逃げ去ってしまった自分の情けない姿を振り返り、省みるということ、それをこそするように、ということだったのではないかと思うのです。
★歳を重ねるにつれ、振り返った我が身は情けない姿でしかないことを思い知らされます。でもそれを振り返り、省みる時、ふと気づくことがある。情けない自分の傍らに、一人の誰かがいることに気がつくのです。イエス様がわたしの傍らに、わたしと共におられることに気がつくのです。
★本当のキリストとの出会いとは、痛みを伴いながら自分を振り返り、省みることの中にあるのではないでしょうか。ふがいなく、だらしなく、なさけなく、みっともない自分の傍らにイエス様が共におられることを見いだすこと、そこからもう一度、その、わたしと共におられたその「イエスに従う」という歩みが始まるのです。そしてそれこそが、「命にあずかる」こと、わたしたちにとって本当の意味での「喜ばしい知らせ」、福音なのでしょう。