日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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10月21日の週報コラム「ひだり手」

「願い」の共有としての祈り(2)

★集まってくる子どもたち一人ひとり、とても子どもひとりには抱えきれない問題・課題を背負わされていて、それがゆえに食堂を開くたびに、いろんな問題がここでも沸き起こってきます。ほとんどはすぐには解決のつかない問題です。そういう子どもたちが抱えた問題を、子ども食堂自身も抱え込みながら続けていくので、食堂は毎回、先の見えない中で続けていくことになります。

★それでもみんなで一緒に続けていくうちに、子どもたち一人ひとりの境遇や、行く先について、「こうであったらいいのにな」という「願い」が、皆の間に芽生えてきます。それは自分一人の自分勝手な「ああしたい、こうしたい」という「欲望」ではありません。また大人のボランティアの、「この子はこうなってほしい」という上から目線の「願望」でもなく、子どもたち一人ひとりの小さな声に耳を傾けながら、また子どもたちの仕草や様子をうかがいつつ、子どもたちの言葉にならない気持ちも受けとめて、「こうであったらいいのにな」という願いが、子ども・大人の垣根を越えて、またキリスト教の信仰を持っているかいないかという垣根も越えて、心の奥深いところで、皆が「こうであったらいいのにな」という「願い」を持つようになる。少しずつ、少しずつ、そんなつながりが出来てくるのを感じさせられています。

★「子はかすがい」という言葉がありますが、集まってくる子どもたち一人ひとりが抱えている問題・課題がむしろ、そうして大人たちも巻き込んで、垣根を越えて、同じ願いを分かち合うように結びつけてくれるのを感じるのです。「欲望」でも「願望」でもない、この「願い」こそは、もしかしたら「希望」というものなのかもしれません。そういうことを教えられている、学ばされています。


by oji-church | 2018-10-24 08:42 | 牧師からのメッセ-ジ