日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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7月8日の週報コラム「ひだり手」

「天に触れる。隣人に触れる。」

〈イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。そして、天を仰いで深く息をつき、「エッファタ」(開け)と言われた。すると、たちまち耳が開け、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。〉(マルコによる福音書7章33~35節)。

★イエス様はしばしば「天を仰ぐ」という仕草をしています。わたしたちがいま、空を仰いで見ても、何も無いと思われるかもしれません。手を精一杯空に向かって伸ばしても、空に触れることはできません。でも、わたしが手を伸ばして届くところを越えたところに、神様がおられる。その希望が向こうから、空のかなた、天のかなから、わたしたちのもとを訪れるのだと。イエス様はまさに、そのように思って、天を仰いだのではないでしょうか。その希望を胸一杯に吸い込むように、深く息をついて、「エッファタ」「開け」と囁いた。
★わたしたちの手は、天には届きません。だけれども、わたしたちが隣り合って生きている隣り人には触れることができます。わたしたちが神様から求められていることは、この隣り合って生きる人に「触れる」ということなのではないかと思うのです。イエス様は、「よし、わしは神の子だから、お前、治してやる」なんてことは言いませんでした。ただ手当てをしたのです。隣り合って生きている人の悲しみ、嘆き、痛みに向かって、精一杯手を伸ばして、自分にできる限り、傍近くに寄り添って、手当てをした。そうして、天には届かない自分の手だけれども、その天を仰いで、その天の彼方から訪れる希望を、胸一杯に吸い込んで、「開け」と願った。わたしたちもまた、天には届かない手を、隣人に触れて、寄り添って歩むことが神様から求められていることなのではないでしょうか。
by oji-church | 2018-07-11 15:26 | 牧師からのメッセ-ジ