日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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4月22日の週報コラム「ひだり手」

「平凡な日常の背後には」

〈「この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。〉(マルコによる福音書6章3節)

★イエス様の故郷ナザレの人々が言ったのは、「イエスというのは、自分たちと何も変わらん、ただの人ではないか」ということです。イエス様の故郷ですから、町の人々は、小さい頃からのイエス様のことをよく知っていたのかもしれません。オギャアと泣いて、お母さんのお腹の中から、裸で生まれてきた、他と何も変わらんただのガキだったではないか。そんなことを言った人いたかもしれません。だけれども、オギャアと泣いて、お母さんのお腹の中から、裸で生まれてきた、ということ、それを平凡でツマラナイことと見るか、いや、そうじゃなくて、それはエライことなんだと見るか、そこに分かれ目があるのではないかという気がします。
★イエス様の語った福音は、普段のありふれた日常の、ツマラナさ、平凡さに埋もれていって、身体は生きてはいても、心は死んだようになってしまいそうになっているわたしたちに向かって、「いやいや、平々凡々に見える普段の日常というのも、実は決して捨てたモンじゃないぞ」ということを伝えるものだったのではないでしょうか。イエス様の宣教の第一声は、こんな言葉で語られていました。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」。わたしたちの普段の日常がどんなに平凡なものであったとしても、わたしたちがいま生きているこの「時」というのは、神様の働きで満たされており、神様の働きは、わたしたちの普段の日常のすぐ傍にあるんだ。悔い改めて(心の向きを変えて)、振り返って見ろ、ということ。心の向きを変えて、振り返って、この福音、嬉しい知らせに心を開こうではないか。これがイエス様が告げ知らせた福音というものでした。(つづく)
by oji-church | 2018-04-25 11:47 | 牧師からのメッセ-ジ