日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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3月18日の週報コラム「ひだり手」

「苦海浄土」(2)

★(承前)2月10日に石牟礼道子さんが亡くなって、翌日の新聞記事には、こんな言葉が書かれていました。「誰かが苦しんでいる時、相手の気持ちになってもだえ、悲しみながら、ただ見守るだけの存在」のこと、と書かれています。水俣の人たちはこの石牟礼さんのことを、そういう意味を込めて「悶え神さん」と呼んでいるそうです。石牟礼さんは、水俣病を治すことはできません。水俣病になった人たちのことをただ、その気持ちになって、一緒になって悶えて、悲しみながら、ただ見守るだけのことしか出来ませんでした。でも石牟礼さんがそうやって、水俣の人たちと同じ気持ちになって、一緒になって悲しみを共にしてくれたことを、水俣の人たちは本当に有り難いこと、尊いこととして受けとめて、自分たちの心の傷を癒してくれたと言っています。
★「苦海」というのは「苦い海」「苦しい海」、汚されてしまった海、だけれども「浄土」というのは、天国のような清い場所、尊い場所という意味です。汚されてしまった海、その魚を食べて苦しみに襲われてしまった水俣の人たちだけれども、その人たちと同じ気持ちになって、苦しみ、悲しみを分かち合うことを通じて、わたしたちは清いもの、尊いものを与えられるんだ、と、そういう意味が込められているのだと思います。
★聖書の神様は、人の苦しみ、悲しみを、一緒になって苦しみ、悲しむ神様です。わたしたちが苦しむ人と一緒に、同じ気持ちになって、一緒になって悲しみを共にする時、たとえただ傍で見守ることしかできなかったとしても、神様はわたしたちと共にいてくださるのだと思います。そうして、不思議にも、そういうわたしたちの同じ気持ちが、神様を通じて、きっと人の苦しみ、悲しみを癒す力を持つのだと思います。(2月25日教会学校礼拝説教より)。
by oji-church | 2018-03-21 10:14 | 牧師からのメッセ-ジ