日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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2月11日の週報コラム「ひだり手」

「ともし火としての悲しみと喜び」

〈ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか。隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められているもので、公にならないものはない〉(マルコによる福音書4章21~22節)。

★ここで「ともし火」と言われているのは、イエス様が宣べ伝えた「神の国」の福音のことでしょう。この世界は神様が創られたもの。そこに生きるすべての命あるもののために神様は、今日も働いておられ、わたしたちの命を養い回復される。それが「神の国」の福音というものです。
★そんな「神の国」の福音は、特定の限られた人たちだけに打ち明けられるのではなく、この空の下に生きている「みんな」に打ち明けられるはずのものだ、というのが、ここでイエス様が言われていることなのだと思います。
★「ともし火」という小さなものが、みんなを照らす「神の国」という大きなものに繋がっていることが語られています。わたしたちは日々の生活の中で、いろいろな小さな出来事を経験し、その中で、それぞれに小さな喜びや悲しみや痛みを経験するものです。そんな小さな経験の一つ一つを互いに打ち明け合い、受けとめ合いして分かち合う積み重ねの中から、神の国という大きな喜びが、わたしたちのもとを訪れるということではないかと思います。
★わたしたちの日々経験する小さな出来事の中での喜びや悲しみの中にこそ、「神の国」の大きな喜びが秘められており、それはみんなを照らすともし火となるのだ。「神の国」の大きな喜びは、わたしたちの、お互いの小さな経験を打ち明け合い、受けとめ合い、分かち合う積み重ねの中から、いつかきっと必ず、みんなが分かる仕方で明らかになる。イエス様の言葉は、そんな希望をわたしたちに告げています。
by oji-church | 2018-02-13 11:59 | 牧師からのメッセ-ジ