日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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12月3日の週報コラム「ひだり手」

「レッテル貼りを退ける」

〈身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた〉(マルコによる福音書3章21~22節)

★イエス様が律法学者たちによって誹謗中傷するレッテルを貼られ、イエス様の家族らがそれに急き立てられて「取り押さえに来た」という話です。かつて戦時下、日本では「アカ」とか「非国民」とかいったレッテル貼りが横行しました。権力者たちがそれを奨励し、一般民衆はその尖兵として利用されました。戦時下日本のキリスト教は、自分たちがこのレッテル貼りの対象となることを恐れて、従順に国家の政策に従い、神社参拝や国民儀礼(宮城遙拝・君が代斉唱)を率先して行いました。背う線に出向いて、神社参拝を拒否する朝鮮のキリスト者たちに対して神社参拝を奨励することまでしました。あたかもイエス様を取り押さえにきた身内の者たちのようにです。
★戦後、日本の教会は降って湧いた「キリスト教ブーム」に乗っかり、戦前・戦時下の自らの有り様を反省することがありませんでした。日本の教会が、過去の自らの有り様を省みたのは、1967年に日本基督教団が発表した「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」、いわゆる「戦争責任告白」が初めてでした。日本の教会は自らのありようを省みるという点で、誠に「鈍い」と言わざるを得ません。
人にレッテルを貼り、人を排除し、抹殺していくような有様に乗っかっていくことが、キリスト教の信仰から見て果たして正しいことなのか、わたしたちはそのことを目を開き、目を覚まして省みる必要があるでしょう。
by oji-church | 2017-12-06 13:31 | 牧師からのメッセ-ジ