7月12日の週報コラム「ひだり手」
〈わたしはお前たちの先祖をエジプトの地から導き出したとき、わたしは焼き尽くす献げ物やいけにえについて、語ったことも命じたこともない、むしろ、わたしは次のことを彼らに命じた。『わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしはあなたたちの神となり、あなたたちはわたしの民となる。わたしが命じる道にのみ歩むならば、あなたたちは幸いを得る』。しかし、彼らは聞き従わず、耳を傾けず、彼らのかたくなで悪い心のたくらみに従って歩み、わたしに背を向け、顔を向けなかった〉(エレミヤ書7章22~24節)。
★神様が喜び、求めるのは、神様の声に聞き従うこと、神様に向かって顔を向けること、でした。それはつまり、神様と呼び応える関係を持ち続けていくことです。神様の呼びかけに対して、それを無視したり、軽んじて耳を傾けないようなことをせず、「はい、わたしはここにいます」と応えていくこと、です。神様との関係に限らず、そのように、誰かとの間に呼び応える関係を築いていくというのは、実はなかなか骨の折れることです。じっくり時間を掛けて、丁寧にお互い声と言葉によく耳を傾けて、そうして苦労を分かち合い、忍耐をもって、お互いに間に信頼し合う関係が成長していくのを待つ必要があります。自分自身のありようを問い直さなければできないことです。自分中心にだけ物事を考えていたのでは絶対にできないことです。そういう意味で、面倒くさいことです。何が面倒と言って、自分自身のありようを反省し、問い直していくことが、わたしたち人間にとって一番面倒な、困難なことではないでしょうか。しかしそのように、自分自身のありようを問い直し、自分を真ん中に置くありようから変えられて、相手の声と言葉によく耳を傾け、相手の苦労を分かち合い、忍耐をもって信頼関係を築いていくことによってこそ、わたしたち人間同士というのは、お互いに安心して共に歩んでいく平和をお互いの間に打ち立てることができるのです。