2月9日の週報コラム「ひだり手」
〈「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。……風は思いのままに吹く。あなたたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。〉(ヨハネによる福音書3章1~8節)。
★イエス様は「人は、新たに生まれなければ、霊によって生まれるのでなければ、神の国に入ることはできない」と語っていました。そこで、「霊」とは「風」であり、神様の「息吹」でもあって、それは「命の源」を表すものです。「霊」とか「命の源」と言っても、そんなに難しいものを想像してはいけないのかもしれません。わたしたちが生きていくために、日々の食事を作り、食べ、飲み、わたしたちは一人では生きては行かれないから、人と出会い、触れあい、一人では生きられないから、出会う一人ひとりを大切に思い、助けたり、助けられたりして生きる、そういう当たり前の日常、ありのままの一日一日を大切に、丁寧に生きる中に、霊、すなわち命の源はあるのです。
★パレスチナに行って、いろいろと厳しい状況を見聞きしてきましたが、本当に厳しい厳しい抑圧の中にあっても、出会う人一人ひとりを大切にして、丁寧に一日一日を生きている人たちが大勢おられました。まさにこの女性の姿に重なります。遠く離れた場所に暮らしているわたしたちであり、お互いにお互いのために出来ることはなかなか見つからないのですが、まずは出会う一つ一つの事柄を大切に丁寧に、知り、触れて、関心を向けること、心を向けることが大事ではないかと思います。そういう時、そういう場こそが神様との出会いの時、神様との出会いの場、ほんとうの出会いとなり、このほんとうの出会いを一つ一つ大切に丁寧に積み上げていく中で、ほんとうの平和というものが造られているのだと思います。