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日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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10月13日の週報コラム「ひだり手」

「現実に立ち向かうために」

〈初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。〉(ヨハネによる福音書1章1~5節)
★わたしたちの現実には、さまざまな問題や課題があふれかえっています。果たしてわたしたちはその現実を直視して、それに立ち向かい、それを担い、乗り越えることが出来ているでしょうか。原子力の問題、戦争の問題、貧富の格差や飢餓の問題、軍事力によって生活を脅かされている人々のこと、沖縄の人々のこと。そうしたこの世の現実の問題や課題の一つ一つを自分自身の事柄として向き合い、引き受け、立ち向かい、乗り越えていこうという意志を確かに持っているかどうか。むしろそうした現実の問題や課題からは目を背けて、ただ自分の身の回りの損得の勘定だけを見るようにして生きてはいないだろうか。そういうわたしたちのありようを聖書は「暗闇」と呼んでいます。現実にいろいろな問題や課題があるけれども、誰もそれを直視しないなら、それは見えないも同然、この世は暗闇というわけです。しかしこの暗闇の中に光は輝いていると聖書は語ります。この世の現実を越えたところで、光は輝き続けている。命の源である言(ことば)、イエス様はわたしたちを照らし続けていると。
★「初めに言があった」から、「命は人間を照らす光であった」までは全部過去形で書かれています。「暗闇は光を理解しなかった」という最後の言葉も。でも一つだけ、「光は暗闇の中で輝いている」という言葉だけは現在形で書かれています。この世の現実がどれだけ暗く希望を持てないものであったとしても、イエス様は今もこの世を越えたところから命の源として、光をこの現実の世界に投げかけているんだ。光を輝かせているんだ、ということです。わたしたちは、この光=命の源からこの現実の問題や課題を直視し、向き合い、立ち向かって、乗り越える力を与えられるということです。
by oji-church | 2013-10-16 15:13 | 牧師からのメッセ-ジ