8月26日の週報コラム「ひだり手」
★原子力はその利益を享受する人たちがいる一方で、そのための犠牲となる人たちを必ず生み出す仕組みの上に成り立っているのです。今回の事故は福島の人々がその犠牲者となるべきあらかじめ割り当てられていたことを明らかにしました。そればかりではありません。今回の事故の収束のために多くの人たちがあたらされている作業は、明らかに被曝作業です。今回の事故でその作業員の健康診断をした医師の証言では、約八割が地元の人で、避難所から通っているとも言われます。そもそも原子力発電所は、普通に稼働させるだけでも、被曝労働を必要とします。その作業に当たるのは、電力会社の下請け、孫請けの会社であり、日雇い労働者です。
★また、原発の燃料として使われるウランを日本は、オーストラリア、カナダ、ナミビア、ニジェールといった国々からの輸入に頼っていますが、採掘労働者の被曝、放射能に晒された周辺の住民、とりわけ先住民族、少数民族の人たちがその被害を被っています。さらに、原子力発電は必然的に放射性廃棄物を生み出します。その処分場はまだ決まっていませんが、政府はその候補地を挙げています。それらの多くも人の少ない過疎の地域です。
★今回の事故は、原子力がそのように犠牲にする側の人間と、される側の人間とを造り出す仕組みをはっきりとわたしたちの目の前に表しました。わたしたちは、やはり自身の生活のあり方を根本的に考え直さなければならないところに立たされています。もはや知らなかったと言うことはできないのですから。