2月12日の週報コラム「ひだり手」
★「それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです」(Ⅰコリント12:22)。体の中で弱そうな部分は無いに越したことはないだろうと思ってしまいます。それに対してこう書かれています。「体の中で価値がないように見える部分に、わたしたちはより多くの価値を置く。わたしたちの中の見苦しい部分は、(実は)より多くの美しさを持っているのだ」(Ⅰコリント12:23私訳)。そうパウロは言っているのです。世間一般の人たちが「恰好が悪い」「価値がない」と見なすような部分に対して、わたしたちはそうではない。わたしたちはそこの部分をこそ大切にするのだ、という「決意」「決心」をパウロはここで語っているのです。そう決心して、その「恰好が悪い」「価値がない」と世間一般で思われている部分に自分自身を結び合わせていく時、実はその「恰好の悪い」「価値がない」と思われている部分こそが、本当は美しいものなのだということが分かってくる、ということです。