2月27日の週報コラム「ひだり手」
〈主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」 〉(ルカによる福音書10章41~42節)。
★この場面を読んで、どうも腑に落ちない思いをわたしはずっと抱えています。この場面の初めには、「一行が歩いて行くうち」とあって、またマルタが「いろいろのもてなしのためせわしなく立ち働いていた」とあるくらいですから、かなり大勢の人たちがこのマルタとマリアの家には入っていたと思うのです。そして恐らくその多くは男性だったでしょう。この男たちは何をやっていたのだという思いが残るのです。
★マルタは確かに「もてなし」という大事な働きを一身に担っているし、マリアも女性ばかりに背負わされた役割分業から解放されたいという、女性の熱い願いを体現しています。どちらも悪いことをしているのではない。なぜマルタとマリアの間に議論が起こらねばならないのか。それは男性があたかも自分たちには関係がないことのように傍観者となっているから、ではないでしょうか。そんなに大勢の男たちがイエス様についてぞろぞろとマルタの家に来て、ご相伴(しょうばん)にあずかるのなら、自分たちで手伝ったらいいではないか。
★それにしても、イエス様が、マルタを呼びつけるのではなくて、ペトロを呼びつけて「お前が手伝え」と言ったと聖書に書いてあったら、どんなにかスッキリするだろうなんて思ってしまいます。(つづく)