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日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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5月9日の週報コラム「ひだり手」

「生命の流れ、愛の流れ」

《わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。…父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。…わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい》
(ヨハネによる福音書15章5・9・12節)。

★分子生物学者の福岡伸一さんは、いのちとは「流れ」であると言います。わたしたちの食べた食物は消化され分子となり、体となる一、古い体は体外に排出される。こうして環境がわたしたちの体を通り抜けていきます。いやわたしたちの体そのものが、その流れが一時淀んでいる場所に過ぎないわけです。わたしたち体を含めた環境にある分子はすべて、生命の中を通り抜け、また環境へと戻っていく、大きな循環する流れの中にあります。
★ヨハネ福音書がここで「愛」と語るのは、このいのちの「流れ」のことかもしれないと思うのです。神様がイエス様を愛し、それを受けて今度はイエス様が人々を愛する。そういう愛の流れです。
★神様からイエス様へ、イエス様から人々へという愛の流れを、ぶどうの木の養分が根から、幹へ、幹から枝へ、枝から実へと流れゆくように、自分のところで止めてしまうのではなく、互いに愛し合うことへ、隣人へと流していくべきだ、と命じられ、求められているのです。
★いま、わたしたちの生きる社会では、人間同士が際限なく切り離され、その一方で「テロとの戦い」「抑止力」などといった大仰な言葉に脅されて、人間が国家に殺生与奪を握られた、取り替えのきく部品として扱われようとしています。その中で、こうした本当の意味での、人間だけでない生命のつながりを意識することは意味あることではないかと思うのです。
by oji-church | 2010-05-15 10:51 | 牧師からのメッセ-ジ