日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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「『誇り』はどこからやって来る?」

★今、夜のテレビ番組を見ていると、毎日と言ってもいい程必ず「日本はスゴイ」という主題の番組が放送されています。自分自身や自分の暮らす国の「よい部分」を見出すことは決して悪いことではありませんが、完璧な人間も完璧な国家も存在しない以上、自分自身の「よい部分」を見出すことが本当に意味あることになるためには、同じだけの注意深さをもって自分の「悪い部分」も直視しなければならないでしょう。
★第一次安倍政権では教育基本法が改定され「愛国心」が盛り込まれました。安保法制が作られて戦争をする体制が整えられています。「日本スゴイ」が連呼される一方で、国立青少年教育振興機構が2015年に公表した調査では、高校生の72%が「自分はダメな人間だと思うことがある」と回答しているとのことです。個人の尊厳が傷つけられる一方で、国の尊厳が称揚される社会というのは危うい社会だと言わなければなりません。
★人間というのは、自分自身の尊さ、尊厳を噛みしめながらでなければ、本当に人間らしく活き活きと生きることのできない存在です。でもいま物事がうまく進まない時代の中で、それがとても難しいことになっています。いきおい身近なところにあるもっとも大きく強いもの、国家というものに自分の尊厳、誇りのよりどころを見つけ出そうとします。けれども国家というのはどんなに優れた国家であっても、それは人間が作りだした、今のところなお未完成の不完全なものです。それゆえ国家というものは、余程注意深く監視し、整えていくことを怠らないようにしなければ、しばしばその大きさ・強さによって生みの親であるはずの人間を飲み込み、食いつぶし、命を奪う存在なのです。ですから自分自身の尊厳、誇りを見出すそうとする時には、手近な大きいもの、強いものにそれを託すより前に、人間の真に奥深いところに問い尋ね、省みながらじっくりと考えてみることが大切なことです。(つづく)
by oji-church | 2017-01-25 12:06 | 牧師からのメッセ-ジ
「人間を創り上げる力」

〈わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。わたしたちは理屈を打ち破り、神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ、また、あなたがたの従順が完全なものになるとき、すべての不従順を罰する用意ができています。〉(コリントの信徒への手紙Ⅱ10:4~6)。

★人間というのは、誰しも「強さ」と「弱さ」を合わせ持った存在です。強い部分では自分は他の人たちよりも「できる」部分を持っていると考えていますが、ひとたび自分より強い相手に出くわすと、とたんに「弱い自分」が前に出て来ます。そうしてそんな「弱い自分」に劣等感を感じながら、卑屈に振る舞ったりします。同じくらいと思う相手には、虚勢を張って、張り合ってみたり。けれども、そんなふうにしているうちに、わたしたちはきっと自分自身というものをバラバラに崩れさせてしまい、自分という一人の人間の価値、本当の尊さを見出せなくなってしまいます。
★パウロはそんな「強い自分」と「弱い自分」の間で右往左往しているわたしたちに「自分の力に依り頼むな」と呼びかけます。神様の力がわたしたちの存在の芯の部分に働いているんだということを知る時、わたしたちは真実の、キリストにふさわしい穏やかさを見つけ出すことができるのでしょう。それは人間を真に人間らしく創っていく穏やかさです。
★わたしたちの世界は今、国同士も人間同士も互いに虚勢を張って自分を誇り、他を見くびり貶めるような有様を呈しています。このような「人間の強さ」は、やがて人間自身を自分の力によって打ち倒してしまうことでしょう。そうではなく、人間を創り上げる力とが不思議にもわたしたち一人一人には与えられているのだと。この「神様の力」をわたしたち自身の内に見出し、それを確信し、見た目の「弱さ」とは裏腹に、神様の平和と正義を打ち立てるための力強くねばり強い歩みを歩んでゆきたいと願うのです。
by oji-church | 2017-01-17 09:56 | 牧師からのメッセ-ジ
「『生きていく人間』であるために」

★2017年が明けました。まだこの年がどんな年になるのかはわたしたちには分かりません。わたしたちに出来ることは過去を振り返りつつ、そこで経験したことを未来に生かすことだけです。昨年2016年はどんな年だったでしょうか。4月には熊本で大きな地震があり、50人の方が命を奪われました。いまも救援、支援の働きが求められています。10月にも鳥取でやはり大きな地震がありました。さらには11月にも福島県沖の地震により、あの東日本大震災以来、再び津波が起こり、現地の人たちは恐ろしさに打ち震える経験をしなければなりませんでした。このように自然災害が続いている状況は、何かわたしたち人間に警鐘を鳴らしているように思えてなりません。
★メディアではオリンピックの話題がたけなわです。その一方で、オリンピック開催に掛かる費用を巡る駆け引きが連日報道されていました。そもそも遡ってみれば、このオリンピックは「福島の原発は完全にコントロールされている」と、世界中に「嘘」を報告することで招致にいたったものです。
★こうした「嘘」の背景には、「嘘をついて騙しても構わない」という人間を軽視し、見くびる思いが隠れているように思います。こうした人間に対する軽視、侮りは必ず、人間を痛め傷つけても構わないという「暴力」へと繋がっていきます。嘘をついても、力を持つことこそが「正しい」ことだと考えて、嘘や不正を告発されても力でねじ伏せてしまえばいいと考える傲慢な権力崇拝が生まれます。
★権力崇拝が、必ずや人間そのものを破壊し、人間を滅びへと導くものであることを聖書は語っています。真実を見据えるということは、人間を尊重するということです。「滅びへと至る人間」ではなく「生きていく人間」であるために、真実を見据えることを大切にしてゆく1年にしたいと願うものです。
by oji-church | 2017-01-11 16:37 | 牧師からのメッセ-ジ