日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


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「一過性の喜びでなく」

〈代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。わたしは創造する。見よ、わたしはエルサレムを喜びとし、その民を喜び楽しむものとして、創造する。……泣く声、叫ぶ声は、再びその中に響くことがない〉(イザヤ書65章18~19節)。

★今わたしたちの暮らす世界では、国同士や民族同士の対立や反目が高まっています。国や民族を繋ぐのは軍事同盟や「お金」といった人間の創り出す「モノ」ばかりです。新しい「モノ」が生み出されれば、それが「光」と見なされます。でもその「光」は、すぐに古び、色あせてしまい、わたしたちはまた別の「モノ」を求めて、際限なく暗闇の中を彷徨うことになります。わたしたちは、そんなわたしたちの時代の暗闇とたたかうために、この暗闇の世界の中から生じてくるのとは違う光を見出さなければなりません。それは、わたしたち人間が創り出すのではない、神様がこの世界にもたらすもの、神様の働きそのものです。
★神様はこの世界を造って、それで働きを止めてしまったわけではない。神様は「わたしは創造した」と過去形で語るのではなく、「わたしは創造する」と現在型で語ります。そして、神様は何を基準に新しい創造の働きを始めようとするのかと言えば、それは「喜び」です。神様はわたしたちに向かって、「あなたがたにとって、本当の喜びとは何なのか」と問いかけておられるのです。それは次々と新しい「モノ」を手に入れることなのか。でもそれは、再びどこかで「泣き声、叫び声」を生み出す一過性の「喜び」に過ぎません。「あなたがたにとって本当の喜びとは何なのか」と問いかける神様に促されて、わたしたちは、わたしたちの一過性の喜びの傍らで、泣き声、叫び声を挙げている人たちの、その泣き声、叫び声に耳を傾け、その悲しみや苦しみを共に感じ受けて、それが本当の喜びへと変わることを目指して歩む道へと押し出されます。
by oji-church | 2016-12-20 15:18 | 牧師からのメッセ-ジ
「無力のちから」

〈あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。……あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んで踊りました〉(ルカによる福音書1章42~44節)。

★マリアさんは友人のエリサベトに会うためにユダの町に出かけていきました。そこでエリサベトはマリアさんに向かって、「あなたは祝福されている。あなたの声を聞いたとき、自分のおなかの中の子が喜びおどったのだから」と言うのです。おなかに赤ちゃんがいる時に、その赤ちゃんが動き出すことがあります。小さな、外からは見えない力です。でもそこには人間のいのちの全体が含まれている、そんな力。その力は、女性より力があると思われている男には絶対に感じ受けることのできない力です。エリサベトは「不妊の女」と言われた女性でした。マリアさんはまったく無力な少女です。どちらも、人間の力に救いを求めようとするこの世の在り方からは、「無用のもの」として隅に置かれ、いつ切り捨てられてもおかしくない「無力」な存在です。でも、そんな無力な存在だからこそ、感じ受けることのできる目に見えない力、小さいけれども、その中にいのちの全てが含まれるような力、というものがあるのではないだろうかと思うのです。妊娠した女性だけが感じられると言っているのではありません。
★エリサベトは言います。「あなたは祝福された人だ。あなたのおなかの赤ちゃんも祝福されている」と。誰が祝福するのか。神様です。人間じゃない。無力な人こそが感じ受けることの出来る見えない小さな力というものがこの世界には働いている。その小さな力を神様は決して見逃すことなく祝福してくださる。だから無理して強くなろうとする必要はない。自分の無力さを隠して、強がってみせる必要もない。この見えない小さな力を祝福してくれる神様がおられる。そのことを知ってマリアさんは、神様のことを喜び、たたえるのです。
by oji-church | 2016-12-14 08:52 | 牧師からのメッセ-ジ
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。
この方こそ主メシアである。
あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。
これがあなたがたへのしるしである。
(ルカによる福音書1章78~79節)


 この世の片隅のだれも気付かないようなところで、布にくるまって飼い葉桶の中に赤ちゃんが生まれます。この小さないのちが、決して小さなものではなく、限りなく大切なものであることをクリスマスは告げます。いま、世界中で人間同士がバラバラに引き裂かれています。小さないのちを共に大切にし合いながら、共に生きる道を一緒に見つけませんか。

*クリスマスイブ燭火礼拝(キャンドルサービス)
12月24日(土)午後6時~7時30分
メッセージ:「生ましめんかな」大久保正禎牧師
*礼拝後、王子駅までキャロリングを行います。

クリスマスこどもとおとなの合同礼拝    
12月25日(日)午前10時30分~11時30分
メッセージ:「あなたと一緒にいるために」大久保正禎牧師
*礼拝後、食事を囲んでお祝いの会を行います。どなたでもご参加いただいけます。

礼拝には、はじめての方でも、どなたでもご参加いただけます。
by oji-church | 2016-12-07 11:56 | 全体のお知らせ
「心の貧しい者は幸い?」(2)

★いま、わたしたちの生きている世界は、先頃のアメリカの大統領選の結果にも現れていたように、とにかく今ここでの目の前の自分の利益や都合を最優先に追い求めて、人を見下し、侮蔑するような動きが各所で強まっています。わたしたちはそんな世界の有様に翻弄されながら生きています。でも、それは本当の意味で人間的とはいえない人間の姿、非人間的な世界の姿でしょう。聖書の福音は、人間の価値というのはそんな目先の利益や都合よりも、もっと大きな、大切なものだと語っているのです。こんなふうに福音に目先の利益や都合に振り回されて、あちこちへと引き回されて、人を見下し、侮蔑するような、そんな人間的ではない、非人間的な世界に奴隷のように繋がれているのは、やりきれないと、そんな自分自身の「悲しみ」に気付いた時、初めて自分の「心の貧しさ」の意識が芽生えるのだと、そう大塚さんは語るのです。
★わたしたちが福音の告げる「人間の尊厳」に目覚めるというのは、目先の利益や都合に左右されて、尊厳を失って生きている自分自身の「悲しみ」を自覚させ、それと同時に、目先の利益や都合に支配される在り方からの解放を与える、というのです。
★聖書の語る福音の大きな広い世界に触れて、生きる「喜び」を与えられた、というのはよく聞くことです。でも、大塚さんが語るのは、福音に触れて、その福音とはほど遠い世界に生きている自分自身のありように、「ほんとうの悲しみ」を与えられる、ということです。これは目先の利益を失うことや、目先の不都合によって生じる一喜一憂とは違う、もっと本質的な「悲しみ」です。しかしこの本質的な「悲しみ」は同時に、人間のほんとうの価値への目覚めを与えるものでもあります。それに目覚めるとき、わたしたちは、目先の利益を追い求めて、人を見下し、人を侮蔑する、この世の差別や罪から解放されて、新しい生き方、視点を変え、生きる方向性を変える、つまり「悔い改めた」生き方を与えられるのでしょう。
by oji-church | 2016-12-07 11:45 | 牧師からのメッセ-ジ
 「心の貧しい者は幸い?」

〈心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。〉(マタイによる福音書5章3節)。

★大塚久雄さんという社会経済学者がいました。無教会派のクリスチャンだった方ですが、その人が今から50年前、「生活の貧しさと、こころの貧しさ」という題で講演をしています。
★「生活の貧しさ」というのは、だれでもすぐに分かるように経済的な貧しさです。では「心の貧しさ」って一体何なのでしょうか。普通、日本語の感覚では「心が貧しい」と言うと、「人にやさしくない人」「心が狭く、意地汚い人」のことを言うように思います。けれども大塚さんがこの講演で言っているのは、聖書の語る「心の貧しい人々」というのは、いろいろな形で人が希望を失っている状態だということです。自分はもうダメだという絶望や、何をしてもうまくいかないという深い疎外感、差別やいじめなどによって、自分の人間としての価値、人としての尊厳を奪われている人のことを「心の貧しい人々」と聖書は言っているのだと語るのです。さらに、人は経済的な貧しさの中で、そういう「心の貧しい」状態にも落とし込められてしまう時がある。それはどれほどの苦しみであるか。しかし、聖書の語る福音というのは、まさにそういう状況にある人に向かって告げられているのだと言うのです。
★聖書の語る福音というのは、まず、そのような「心の貧しさ」から、人を解き放つものなのだ。「あなたは、ダメじゃない。あなたは大切な存在なんだ」と告げることによってです。そういう「心の解放」を与えられて、初めて人は、主体的に、つまり自分で自分自身を背負って、目の前の自分の利益不利益や、都合不都合に左右されずに、立ち上がっていくことができるようになるんだ、と大塚さんは語るのです。(つづく)
by oji-church | 2016-12-07 11:43 | 牧師からのメッセ-ジ