日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


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「ちゃんと生きていますか?」

〈死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ〉(マルコによる福音書12章25節)。

★牧師になって多くの人を看取ってきました。確かにどの人も、いまのところは、この世のどこかで再び出会うことはできないし、帰ってくることもありません。いまのところは、ですが。しかし、一人ひとりの方々のことを思い返すことは出来、その面影はわたしの胸に刻まれています
★そうしてお一人おひとりのことを思い返すたびに、何かわたし自身がその人から、問い返されているような気持ちがわき起こってきます。問い返すと言って、別に問い詰められるような感じではありません。ただ、「ちゃんと生きていますか?」「しっかり生きていますか?」と、そんなふうに問い返されているような気持ちがしてくるのです。お一人おひとり、すでに天に召された方たちから。それがもしかしたら、天に召された人たちが、「天使」としてわたしたちに告げている神様の思い、神様のみこころなのではないかと。
★亡くなった人を思い起こすことは、決してただ思い出に浸ることに終わるものではなく、その人の面影からもう一度、わたしたちに問い返されることでもあるのだと思います。「あなたはちゃんと生きていますか?」「しっかり生きていますか?」と。そう問い返されて、「もちろんだとも」と自信を持って答えられるようなわたしではありません。だけれども、そのたびに思いを新たにさせられることは確かです。
★亡くなった人たちは、「ちゃんと生きていますか?」とわたしたちに問いかけることを通じて、神様のみこころをわたしたちに伝え、わたしたちがこの地上で大事なことを大事にして生きるように導く、そんな天使の役割をいまも果たしておいでなのだと思います。その働きを無駄にすることなく、それに応えて生きていくものでありたいと思うのです。
by oji-church | 2016-11-24 11:42 | 牧師からのメッセ-ジ
「身勝手」民主主義?

★先週水曜日、「子ども食堂」を終えて家に帰ってテレビを点けると、アメリカの大統領選の結果が報じられていました。結果はトランプ候補の勝利でした。自国の一部の人々の不満を掻き集め、その身勝手を実現することを政策として掲げ、移民や少数者や、他国や対立候補に対して、また女性に対しても、口汚い侮蔑的な「言葉の暴力」をまき散らしてきた人物です(報道ではこれを「暴言」と揶揄していますが、それは具体的に人を傷つける力を持つものであり、本来、ただ「揶揄」して済まされるものではありません。ちなみにだからといってわたしが対立候補を絶対的に支持しているわけでもないのですが)。このような人物が支持を集めているのは、アメリカばかりではありません。日本でも同じ状況が広がっています。
★呆然とテレビを見ているとCMが始まりました。米大統領選挙を模して男女の候補者がやりあうパロディCMは携帯電話会社のものです。笑いを誘う意図があるのでしょうが、ぜんぜん笑えません。世界の将来に対する暗澹たる気持ちと、それでも笑いを誘って購買欲を煽るCMとのギャップに苦しみます。気付いたのは、世界がどうなろうとも、広告等に現れている「金を儲けろ」という欲望だけは、何事もなかったかのように身勝手に突き進んでいく、そんな世界にわたしたちは生きているということです。
★民主的な選挙によって当選した候補です。民主主義は本来、一部の人々の「身勝手」を抑制するための制度のはずですが、いつの間にか民主主義のただ中で、人々の身勝手が大手を振ってまかり通るようになりました。「人間は身勝手にばかり振る舞っていいものではない」という“自制”を欠いた時、民主主義の下であっても“多数”の「身勝手であっていい」という放埒によって、民主主義の機能は潰れていくのかもしれません。「強い者が富を得るのは自由だ」という新自由主義的“経済至上主義”の風潮こそが、そんな事態を招いていると思うのですが……ここで紙幅が尽きました。
by oji-church | 2016-11-15 18:26 | 牧師からのメッセ-ジ
教会の宣教の在り方を考える

★8度目になるオープンチャーチを催しました。教会員のみならず各所から多くの方が献品を寄せて下さり、教会員もそれぞれに力を尽くして盛り立て、切り盛りしてくださったことを心より感謝いたします。またこの間、オープンチャーチの実行委員長をずっと続けて負ってくださっているIさんにも感謝しなければなりません。とりわけ、それぞれ創立50年、20年になるいずみスイングオーケストラとゴスペルママの方々が、この小さな教会のために労を厭わず駆けつけてくださることは、本当に有り難いことです。
★今、教会の信徒が減少する状況の中で、教会が教会外の人々や地域の人たちとどのように関わりを持つのか、関わりの持ち方について、もう一度考えて見るべき時期なのかもしれない思わされました。ある会合で、ある教区の教区議長が言っていたことが思い返されます。その教区で、一つの教会が信徒の減少によりやむなく閉じざるを得なくなりました。信徒も牧師もいなくなった教会の解散手続きを教区議長が代わって進める中、その町の人たちが、教会が無くなることをまったく意に介していないことにショックを受けたと言います。教会が無くても町の人にとって何ら影響がない。教会は町の人たちとのつながりをまったく失っていたということです。
★キリスト教的な風土ではない日本の教会はこれまで、洗礼を受けてクリスチャン=教会員となる人の数を増やすことを最大の課題・関心事としてきました。それも必要なことかもしれませんが、キリスト教の「宣教」というのは本来、ただクリスチャン=教会員の「数」を増やすことではなく、聖書の語る福音を、この世の多くの人たちに指し示す=共有することでした。教会に連なっていない人たちの中にも、世に仕える働きをする中で、聖書の語る福音的な思いを胸に宿している人たちに多く出会ってきました。そうした人たちと「人間にとって本当に大切なこと」を共有して、教会外の人たちの「教会がここにあってほしい」という願いに支えられて、教会が続けられていくのが、「宣教」というものの大事な在り方なのかもしれません。
by oji-church | 2016-11-10 17:26 | 牧師からのメッセ-ジ
沖縄の基地建設と「わたしたち」

★大正めぐみ教会の上地武先生(沖縄出身)をお招きして一日修養会を開催しました。上地先生は、沖縄で辺野古や高江において強行されている基地建設の問題についてお話くださいました。先生は、日本の国土の0.6%の沖縄に米軍基地の74%が集中する沖縄の現状について、聖書の99匹の羊と1匹の失われた羊の譬えに寄せて、神様は1%の「失われた者」を見捨てないことを宣言されている。わたしたちキリスト者はその神様の呼びかけに応えていくことを求められている、とお話しされました。
★沖縄では本土の機動隊員が多数動員されて、現地での抗議行動を押さえつけて米軍基地建設が強行されています。抗議行動では機動隊員から殴打や首を絞められる等の暴行を受け怪我をする人も多数出ていますが、その責任は問われていません。一方、防衛省の職員に対して、抗議する中で腕をつかんだことが「傷害」「公務執行妨害」とされて、抗議活動参加者が逮捕される事態となっています。そんな中で本土の機動隊員から住民に対して差別的な罵倒が浴びせられる事件がありました。
★沖縄でそのような無法な弾圧が行われているにもかかわらず、本土の関心は薄くほとんど報道もされません。そこには自分たちの“安楽”のために、自分たちが負うべき負担=犠牲を押し付けるために、少数者を同じ人間として見ようとしない差別があると言わざるを得ません。機動隊員が吐いた罵倒は、本土に暮らすわたしたち自身が吐いたものであり、沖縄に強いている負担=犠牲はわたしたち自身が負うべきものだということを深く噛みしめない限りこの差別は無くならず、もっと多くの犠牲を要求する“化け物”に育っていくでしょう。それは、わたしたち自身が“化け物”になり果てるということです。そうならないために、沖縄の人たちの苦しみを他人事とせず、お互いを“人間”として、苦しみを無くしていくように思いを向け、声を挙げてくことが求められています。
by oji-church | 2016-11-02 20:22 | 牧師からのメッセ-ジ