日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


by oji-church
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

<   2016年 04月 ( 3 )   > この月の画像一覧

お金とこころ

★少し前までは、お金で何でも解決できると考えるのは、いやらしいこと、浅ましいことだという感覚が、少なくとも庶民の間にはあったように思うのですが、今では、いかにも「お金さえ積めば、誰も文句はないだろう」と言わんばかりの政府の経済政策に多くの人がこぞって期待を寄せる有様になっています。、お金の力によってどんな問題を解決できるとわたしたちが考える時、わたしたちはお金を生み出してくれると思える人の言うことを、ひたすら聞くしか無くなるでしょう。たとえその人がよからぬことを企んでいたとしてもです。そのときには、きっとわたしたちは「よからぬこと」を、「よからぬこと」とも思えなくなってしまっています。なぜなら「お金が何でも解決してくれる」のですから。戦前の日本がまさにそうでありました。昭和恐慌に見舞われる中、「満蒙の特殊権益」やがては「大東亜共栄圏」なるものを死守しようと、戦争は「よくない」と思いながらも、果てしない戦争に突き進んでいったのです。
by oji-church | 2016-04-21 09:45 | 牧師からのメッセ-ジ
この心にイエスを宿して

★マルコによる福音書で空の墓の場面に出くわした女性たちは、別の場面で「イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた」と語られています。それは華々しく福音を語る働きではなかったかもしれませんが、心を込めて体を動かす働きであったことでしょう。それがここでは「世話」という言葉で語られています。
★心を込めて体を動かす。そんなわたしたちの働きの中に、復活されたイエス様が宿って、今も生きておられる。それが、本当の意味での復活ということなのではないかと思わされます。復活のイエス様と出会うということ、それは、必ずしも、自分自身の外で起こる目に見える形での出会いばかりでなく、わたしたち自身のこの心、この体にイエス様を宿して、わたしたちが自分の人生を、自分のいのちをもう一度生き直していく中で起こってくることではないかと思うのです。
by oji-church | 2016-04-14 13:01 | 牧師からのメッセ-ジ
心の中にイエスを生かす

★灰谷健次郎さんが書いた『太陽の子』という作品にこんな言葉が出て来ます。「ほんとに得手勝手な人間になれたら、人間ちゅうもんはきらくなもんやな……と、ふうちゃんは思った。いい人ほど勝手な人間になれないから、つらくて苦しいのや、人間が動物とちがうところは、他人の痛みを、自分の痛みのように感じてしまうところなんや。ひょっとすれば、いい人というのは、自分のほかに、どれだけ、自分以外の人間が住んでいるかということで決まるのやないやろかと。いい人というのは、はじめからいい人であったわけではないのだろう。」
★自分の心の中に自分以外の人間が住んでいる。そんなことを思ったことがあるでしょうか。牧師という仕事をしてきて、何人もの人のお葬式をしてきました。先週も、この教会にずっと昔から通っていた96歳のおばあさんが亡くなってお葬式をしてきました。今は目に見える姿ではお会いできません。でも、目をつぶって思い出せば、心の中にそのおばあさんが笑っている顔が浮かび上がってきます。お話しようと思えば、お話しだってできます。そんなふうに、わたしのこの心の中に、亡くなったその人が今も生きていることを感じることができます。
★「生きている人の中に死んだ人もいっしょに生きているから、人間はやさしい気持を持つことができるのよ。」(『太陽の子』)亡くなった人が精一杯生きたことを思い出して、わたしも精一杯生きようと思う時、自分以外の人を大切にしようという気持ちが生まれてきます。あのお墓の中で「ガリラヤへ行けば、もう一度イエス様にお会いできる」と天使が言ったのは、そういうことではないでしょうか。「精一杯生きられたイエス様を、あなたの心の中に生かしていきなさいよ」と。わたしたちは、わたしたちの心の中に、イエス様を住まわせているでしょうか。イエス様を生かしているでしょうか。(2016年3月27日イースター合同礼拝説教より)
by oji-church | 2016-04-06 09:23 | 牧師からのメッセ-ジ