日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


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従順

〈キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。〉(フィリピの信徒への手紙2章6~8節)

★聖書はわたしたちに従順であることを勧めます。聖書が勧める従順とは、イエス・キリストへの従順に他なりません。十字架に死に至るまで従順であったキリストの従順に、わたしたちもまた「従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい」と勧めています。
★イエス様の従順は一人自分だけが神様に従順な、「孤高」を気取ったものではありませんでした。イエス様の従順は、神様がこの世に生きるすべての命ある者を愛しておられる、そのすべて命あるものを愛する神様の働きに従うものでした。他者を愛するイエス様のこの従順にこそ、わたしたちは従ってゆかなければならないのでしょう。
★神様とは、わたしたちの人生のゴールのようなもの。すべての命を包む神様というゴールを目指して、わたしたちはこの人生を歩んでいます。死はわたしたちにとって未だ知らぬ恐ろしいものに思えますが、どうあれわたしたちは、命のすべてを包む神様というゴールに向かって歩んでいることを覚えたいと思います。その道を、わたしたちに先んじてイエス様が歩んでおらるのです。すべて命あるものを愛する神様に従順に従い、僕として生きられたイエス様に従って、他者を愛して、この身をイエス様委ね、導かれてゆきたいと思います。(5月17日墓前礼拝説教より)
by oji-church | 2015-05-27 15:04 | 牧師からのメッセ-ジ
溶けてはいるが

〈あなたがたは地の塩である。〉(マタイによる福音書5章13節)
★「地図」という言葉があります。「地図」というのは、もとは「地」という背景の中に印となる「図」がある様子のことを言いました。だから「地の塩」というのは背景の中に溶け込んで見えなくなっている塩と見ることもできるでしょう。
★そう読んでみると、このイエス様の言葉がこんなふうに聞こえてくるのです。「あなたの価値、あなたの大切さは、背景の中に溶け込んでしまって、人から見えなくなっている。それで人はあなたのことを『役立たず』なんて言って放り出し、足蹴にして、踏みつけにしようとする。だけれども、あなたは地の塩だ。世間の人々がなんと言おうと、あなたは塩だ。あなたは『あなた』という一人の存在において、ただ『あなた』というその一人の存在において、働いているのだ。役立たずなんかじゃない。決して、決して……」。
e0088612_1122142.jpg5月17日に墓前礼拝を行いました。
by oji-church | 2015-05-19 10:04 | 牧師からのメッセ-ジ
聞くことから始まるもの

〈信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです〉(ローマの信徒への手紙10章17節)

★パウロは「(信仰は)キリストの言葉を聞くことによって始まる」と語ります。「キリストの言葉を聞く」というのは、聖書の言葉に耳を傾けることだと思われるかもしれません。あるいは牧師の説教に耳を傾けることだと思われるかもしれません。確かにそれも大事なことです。だけれども、わたしたちにとって、聖書の言葉に耳を傾けることがなぜ大切なのかと言えば、それは、人の痛みや呻きによく耳を傾けた神様の声がそこに響いているからです。旧約聖書の出エジプト記の最初には、奴隷としてこき使われているイスラエルの人々を導き出すためにモーセに呼びかけた神様の声が響いています。それはこんな声です。「わたしは、エジプトにいる私の民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その傷みを知った。……見よ、イスラエルの人々の叫び声が、今、わたしのもとに届いた。また、エジプト人が彼らを圧迫する有様を見た」(出エジプト記3章7~9節)。
★人々の苦しみ、叫び声をしっかりと聞き受けた神様の声が聖書には響いています。だからこそ、わたしたちは聖書しっかりと耳を傾けるべきなのです。牧師の説教が何によって測られるかと言えば、それはその説教を語る牧師が、どれだけ人の声と言葉に耳を傾けているかだろうと思います。
★わたしたちが宣教とか伝道とか言う時に、真っ先に自分が何か証しらしきことをしなければならないと思いがちなのですが、そうではなくて、宣教とか伝道とかいう時に、わたしたちがまずなすべきことは、耳を傾けるだろうと思います。人の痛み、声にならないため息、言葉にならない呻き、そういうものを聞き受けることから伝道とか宣教というものは始まっていくのだろうと思います。
by oji-church | 2015-05-13 13:45 | 牧師からのメッセ-ジ
一緒に食べる、たくさん食べる、長くたべる

★先々週、日本基督教団東京教区北支区の仕事で、韓国基督教長老会ソウル老会の定期会に出席するためにソウルに行ってきました。一番印象に残ったのはとにかく「食べた」ということでした。「食べさせられた」と言ってもいいかもしれませんがそれでは失礼になります。朝食はホテルのビュッフェ形式のものですが、昼食、夕食ととにかくいろいろなところでご馳走を用意してくださり、最後の方には満腹すぎて気が遠くなりそうになっていました。しばらくは胃を休める必要があります。他方で、ソウル老会の方々が日本にいらっしゃった時にわれわれが食べさせているものを考えると、何とも申し訳ない気分に襲われました。先日北支区の総会に出席された方たちには、王子でもんじゃ焼きを食べさせてしまった。もちろんもんじゃ焼きも美味しいものかもしれませんが。
★韓国の教会はいずれも「一緒に食べる」ということをこの上なく大事にしているようです。教会では毎週の日曜日に昼食を一緒に食べます。教会員の数も日本よりも多いですので、教会には大きな厨房が用意されています。そうしてまた、食事の時間をたっぷり取るのです。沢山食べる。そして長く食べるという感じです。総会の最中に、総会の会場とは別室にお茶・お菓子が用意されていて、そこで休憩時間にみんなでお茶をするのですが、日本のように時間にせせこましくなく、会議の再会の時間がやってきても誰も立ち上がりません。総会の会議なんかよりも一緒に食べて話すことのようが余程大事なことのようです。一緒に食べて、一緒に体を養うというところから、そういう具体的で根本的なところから一緒に生きる、共に生きるということを形作っておられるのかもしれません。これはわたしたち日本人も見習うべきことでしょうし、またそれは聖書に語られる福音にも適ったことだと思います。
by oji-church | 2015-05-05 14:49 | 牧師からのメッセ-ジ