日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


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七十年後の約束

〈「主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す」(エレミヤ書29章10節)。

★エレミヤは捕囚の憂き目にある人々に向かって、元いた場所へとあなたたちを連れ戻すという神様の約束を告げます。。しかし、「七十年の時が満ちたなら」とエレミヤは言っています。約束が果たされるのは70年後のことであると。70年といえば人の一生涯に匹敵する年月です。つまり、最初にバビロニアに捕囚として送られた人たちは、もはや生きているうちに再び、ユダヤの地、約束の地へと戻ることはできないということです。エレミヤは捕囚の民に神様の救いの約束を語りながら、実はかなり過酷なことを言っていると思えるかもしれません。(つづく)
by oji-church | 2014-09-24 14:17 | 牧師からのメッセ-ジ
ただ「わたしです」と言う中に

〈「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」……「アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』。」(ヨハネによる福音書8章31~32節。58節)。

★「わたしはある」とのイエス様の言葉は、もっとつづめれば「わたしだ」「わたしです」となります。
★「わたし」というたった一人の人間がいて、「世の光」だとか「救い主」だとか「メシア」だとか「神の子」だとか、立派な肩書きも付けられないような、ただ「わたしです」と言うしかないようなありふれた小さな存在なのだけれども、その小さな存在の中に、「アブラハムの子孫だ」などと言って自分を誇る以上に、もっともっとこの上なく大切なものが宿されているのだということを言っているのだと思うのです。
★イエス様は、この「わたしだ」というたった一言のイエス様の言葉にとどまりなさい、とわたしたちに教えているのです。何の肩書きもなく、裸一貫の姿でこのわたしに「わたしだ」「わたしがここにいるよ」と語りかけるこのイエス様のたった一言の言葉にとどまるならば、あなたは本当にわたしの弟子だよ、と。「わたし」という何に肩書きもない、ありふれた小さな一人ひとりの人間の中に、神様が他の何ものにも代えられない尊いものを授けてくださっているということ、これがイエス様の言われる「真理」というものなのでしょう。この「真理」をわたしたちが知る時、わたしたちは本当に「自由」な者とされるのです。
by oji-church | 2014-09-17 16:32 | 牧師からのメッセ-ジ
教会がしなければならないこと

★1893年創立の王子教会は、日清戦争(1894年)、日露戦争(1904年)、第一次大戦(1914年)、日中戦争(1930年)、太平洋戦争(1941年)と、4回の戦争を経験してきたことになります。第二次世界大戦では、この王子の町はアメリカ軍の空襲と言って、焼夷弾という町を焼き払うための爆弾が一杯落とされて、王子教会の建物のも焼けて無くなってしまいました。昔の記録も全部焼けてしまいましたので、こうして戦争が続いた時代に、王子教会がどんなふうにして過ごしてきたのかも、分からなくなってしまいました。でも、どんなに教会の歴史が長く続いても、教会がやらなければならないことはたぶん変わりません。また、そんなに沢山のことをしなければならないわけでもありません。では、教会は何をやらなければいけないのでしょうか。 
★「小さい者を一人でも軽んじないように気をつけなさい」(マタイ18章10節)。小さい者というのは小さい子どものことでもあるでしょうし、また、たった一人の人という意味でもあるでしょう。小さい子どもでも、たった一人の人でも軽んじない。大事にしなければいけないとイエス様は言っています。神様はどんなに小さな子どもでも、たった一人の人でも、どの人のこともよく知っているということ。だから、小さな子どもの一人でも、たった一人ぼっちの人でも大事にしなければいけないとイエス様は言われるのです。
★教会学校の子どもたちと一緒に平和のポスターを作りました。その時に「どんなときが平和だなあって思う?」と聞いたら「友だちといるとき」と答えた人がいました。誰か一人の人と出会って友だちになって、その人のことを大事に思うとき、平和が創られます。もう一人を大事にするとこの平和が少し大きくなります。こうやって一人また一人と大事にしていくこと、これが教会がやらなければならないことなのです。どんなに教会の歴史が長くなってもこの一つのことは変わりません。(2014年8月31日創立記念合同礼拝説教より)
by oji-church | 2014-09-10 09:21 | 牧師からのメッセ-ジ
戦時下の教会(3)

★いまわたしたちは、人の力を崇める間違った信念のもとで、再び人間の命の価値を貶めてしまう状況の入口に立っています。今、一見すると教会の信仰が否定されるような状況ではありません。戦時下の日本のクリスチャンたちも最後まで自分たちの信仰は否定されていないと思っていました。でもその傍らで、人間の命の価値はどんどんと否定され、すべての命ある者を造り上げて「見よ、それは極めて良かった」と命に対して喜びの叫びを挙げた神様のみこころは否定されていきました。
★信仰の先達を安易に批判して終わるのではなく、歴史の現実の中から響いてくる「二度とこんな過ちを犯してはいけない」という先達たちの声、そして命ある者を造り上げて「見よ、それは極めて良かった」と喜びの声を挙げた神様の声によく耳を傾けて、わたしたちの信仰を、「礼拝をやっています」というだけにとどめずに、神様が与えて下さった命の尊さを世に向かって証ししてゆくものとしてゆきたいと願います。
by oji-church | 2014-09-03 11:31 | 牧師からのメッセ-ジ