日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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戦時下の教会(2)

★いまの教会のありようから戦時下の教会の信仰を「ダメな信仰」として批判することは難しいことではありません。でも、もしも自分がこの時代にクリスチャンとして生きていたと考えてみると、最初のうちは少しばかり抵抗したかもしれない。でも、官憲や軍隊の監視があって、従わないならば逮捕されて痛めつけられると思えば、嫌々ながら形ばっかりでも従うようになるかもしれなせい。やがてみんなが当たり前のようにそれをしていたら、だんだんと自分の当たり前のことのように思い込んで、何の疑いもなくやるようになるかもしれない。そんなふうにも思います。でも、そんな中で、人の命を殺し、また、大人も子どもも殺される戦争というものまでもが「当たり前」のこととして思い込ませられるようになってしまうのです。当時キリスト教会そのものが、そういう人に戦争を当たり前と思い込ませる動きに、最初は巻き込まれ、最後には積極的に加担していったのでした。
★預言者イザヤはユダヤの国が富み栄えて、その力でもって、アッシリアやエジプトの武力を頼みにして、自分も戦争に乗り出していこうとしていた時代に、むしろ神様はそんなユダヤの国を捨てられるだろうと預言しました。「この国は銀と金に満たされ、財宝には限りがない。この国には軍馬が満たされ、戦車には限りがない。この国は偶像に満たされ、手の業、指の造った物にひれ伏す」(イザヤ書2章7~8節)。
★人間の力を神だと思い込んで崇める、誤った信仰に陥ってしまった時、わたしたちはどんなことになるか。「人間が卑しめられ、人はだれも低くされる」(同9節)。人間の力を崇める信仰に陥ってしまった時、人は結局自分自身を卑しめることになるのだ、とイザヤは語るのです。人間を崇める信仰に陥ってしまった時、その力の前で、わたしたちは人を殺すことも、自分が殺されることも「当たり前」のことのように思い込んでしまうのです。本当は殺されて当たり前の人なんて、この世に一人もいません。それが「当たり前」と思い込ませられてしまう時、どれだけ人間の命の価値が貶められているでしょうか。 
by oji-church | 2014-08-27 12:22 | 牧師からのメッセ-ジ
戦時下の教会

★日本基督教団では、1942年11月に当時教団の統理であった富田満牧師が天皇に「賜謁」したことの返礼として、翌12月に全国の教会に対して「国民儀礼実施の件」という通達が出されて、各教会の礼拝の冒頭に「国民儀礼」が行われるようになりました。開会の時間になると、司式者が「一同起立、礼」と号令をかけます。「宮城遙拝を致します」と声を掛けると、出席者全員が皇居のある方向に体を向けて、司式者の「礼」というかけ声に合わせて最敬礼をします。どちらが皇居の方角か分かるように、その方角の壁に日の丸が貼ってあったという証言もあります。これは一番簡略化された形式で、国の「開戦記念日」である毎月8日に日曜日が当たった日には、これに「君が代」斉唱が加えられることもあったそうです。昭和六年版の讃美歌には「君が代」が楽譜付きで載せられていました。
★敗戦の日、1945年8月15日を迎えます。この「国民儀礼」は当時日本の植民地となっていた台湾や朝鮮の教会にも強いられていましたが、8月15日を境に台湾や朝鮮の教会ではすぐに「国民儀礼」は行われなくなったのに対して、日本の多くの教会では8月15日以後も、しばらくの間、45年の10月頃まで、遅いところでは46年が明けるまで続けられていたという記録があります。つまり、当時の日本のクリスチャンたちの多くは、強いられて嫌々ながら、礼拝の中で天皇を仰ぐ「国民儀礼」を行っていたというよりも、むしろ、キリスト教の信仰と特段矛盾しない当たり前のこととして、ほとんど無意識に続けていたということです。
★こうして天皇の名のもとに大勢の人たちが戦争に出かけていき、殺し殺され、また天皇の名の下に女性も子どもも年寄りも戦争に協力させられ、また命を落としていきました。ほんの僅かなクリスチャンを除いて日本の教会とキリスト教は、このことを特段キリスト教の信仰と矛盾しない当たり前のこととして受けとめていたのです。(つづく)
by oji-church | 2014-08-18 11:35 | 牧師からのメッセ-ジ
被災教会との交流の旅

★8月5日(火)から8日(金)にかけて、「北支区被災教会との交流の旅2014」に参加し、奥羽教区岩手地区の教会や幼児施設を回ってきました。震災から3年5ヶ月を経て、津波被災地は各所で大きく様変わりを始めていました。
★宮古教会は併設のひかり幼稚園と合わせて、新しい土地を取得し、幼稚園の「認定こども園」化と共に新しい会堂の計画を始めています。信徒10名の教会が億を超える資金を集めなければなりません。新生釜石教会は会堂牧師館の修築を終えて、骨組みばかりになっていた壁や天井も綺麗に張られて見違えるようになっていました。8月27日(水)には会堂修築感謝礼拝を予定しています。震災直後、ガレキとヘドロのほこりにまみれていた釜石の町は多くの場所で新しいお店が建ち、巨大なショッピングモールも出来ています。しかし港に近づくにしたがい目に付く空き地がなお沈黙の内に津波の爪痕を物語っています。暑さの中、多くの人々が今も仮設住宅に暮らしています。
★壊滅的被害を受け一面原野と化していた山田町、大槌町、陸前高田市等では、土地のかさ上げ工事が始まっており、かさ上げ用の土を載せたダンプが行き交っています。陸前高田市では、山を削って出た土を巨大なベルトコンベアーが津波に遭った土地まで運んでいます。14メートルの高さにまで、かさ上げをする予定です。
★わたし自身は被災以後の様子しか知りません。こうして復興が進んでいくことは歓迎すべきことです。でも様変わりしていく様子を見ながら、変ですが一抹の悲哀を感じることもありました。復興される町はそれ以前の町とは違った姿になるでしょう。元からおられた方々も、変わっていく町の様子に、どこか淋しさを秘めておられるようにも感じられます。土盛りして建てられる新しい町に、再び人々の生活が戻って来るのか。まだまだ十分に先の見えない中、祈る気持ちが人々の心の底に脈打っていることと思います。そんな中で、被災した小規模教会の信徒さんや牧師さんが、なお小さくされた人々と歩みを共にしようとされている姿に感銘を受けました。その祈りを共にしてゆきたいと願います。
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岩手県宮古市田老地区の海岸


by oji-church | 2014-08-13 10:19 | 牧師からのメッセ-ジ
「平和聖日」に思う―「敵を愛する」という「自衛」

〈わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから〉(エレミヤ書29章7節)

★日本国憲法の前文には以下のような言葉があります。「いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」。わたしたちが「自国」のことのみに専念せずに、他国を無視しないことは大切なことです。いま、わたしたちの暮らす国は「集団的自衛権」とか「国際貢献」という名のもとに、他国に軍隊を送って戦争に加わることのできる準備をなそうとしています。これも一見すると「自国のことのみに専念しない」「他国を無視しない」ありようにも見えます。だけれども、武力を用いるとき、わたしたちは相手の国に生きている人々の生命を「無視」することにはならないでしょうか。どんなに自国の外に関心を向けたとしても、それが武力を用いることに帰結するならば、そこには必ず生命に対する「無視」、生命を「無」にする力=暴力が働くことになるのです。いま日本では、「日本という国」がいかに優れていて麗しい国かという論調がもてはやされ、他方では近隣の国の人々に対する排外主義が高まっています。これこそまさに「自国のことのみに専念して他国を無視」するありようでしょう。
★聖書が語る「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5章43節)というイエス様の教えは、一見すると荒唐無稽のように響きます。しかしこれこそ実は、「自国のことのみに専念しない」「他国を無視しない」姿勢のもっともあるべき姿ではないか。そういう意味で、平和を形作るため、自国を守る=自衛のためのもっとも現実的なありようではないかと思うのです。戦争や武力行使は、「自衛」を語りながら自国民を危険にさらし犠牲にすることが前提です。そして指導者たちはそのことを「ウソ」で覆い隠し、自分は戦地に赴かずに机上で計画を練ります。そういう意味ではもっとも非現実的な「自衛策」と言わなければなりません。
by oji-church | 2014-08-04 15:36 | 牧師からのメッセ-ジ