日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


by oji-church
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30

<   2014年 04月 ( 3 )   > この月の画像一覧

「正義」の「裁き」(3)

★アンパンマンには仇役のバイキンマンが登場します。「悪い奴」です。ですが、意外にも子どもの間ではバイキンマンも人気があるそうです。だれしもどこか「悪い」自分を持っているからでしょうか。そうしてバイキンマンは「悪い奴」だけれども、変装してもすぐにばれる変装であったり、優しい人に弱かったり、愛嬌があります。アンパンマンは「悪い奴」であるバイキンマンをやっつけますが、殺してしまうことはありません。バイキンマンもアンパンマンを攻撃しますが、殺しはしません。相手を殺してしまってはいけないんだとやなせさんは言います。むしろ、自分は正義だと言って、正義は勝ったと言っていばっているやつは嘘くさいと言います。正義を行う人というのは実はわたしたち皆と同じ弱い人間なのだと言うのです。いわば追いつめられて、やむにやまれず正義を行うのだと。
★やなせさんにとって正義と悪とは、そんなにはっきりくっきり分かれているものではありません。やなせさんが「正義」という言葉に込める想いは、あのアンパンマンのテーマ曲の中にあると言います。「そうだ、うれしいんだ 生きるよろこび。たとえ胸の傷がいたんでも」。人を喜ばせることが自分にとっては正義だったと言います。それはお金やモノを贈って喜ばせるということではなく、歌の歌詞の通り「生きる喜び」を分かち合うことができるかどうかということでしょう。
★神様がこの世に生きるどの者にも命を与えようとされている、そのことを受けとめようとしないのであれば、その人は自分が「生きる喜び」も求めることができないでしょう。その人は地獄に放り込まれるような「罰」は与えられないかもしれませんが、生きていて「生きる喜び」を求められない生き方は、物質的にどんなに満ち足りていたとしても、それ自体砂を噛むような酷く不幸なありようです。そのありよう自体が既に裁かれているということなのかもしれません。
by oji-church | 2014-04-17 14:47 | 牧師からのメッセ-ジ
「正義」の「裁き」(2)

★やなせたかしさんが書かれた『わたしが正義について語るなら』という本を読みました。やなせさんは野戦重砲隊という大砲の部隊の一兵士として戦争に出征されています。戦争に行くときには「この戦争は聖戦だ」という呼びかけを信じて「日本は中国をたすけなければいけない、正義のためにたたかうのだ」と思って戦争に行きました。ところが中国の側から見れば侵略してくる日本は悪魔にしか見えません。戦争が終わると今度は民主主義が叫ばれます。その中でやなせさんはだんだんと「正義のための戦いなんてどこにもない」ということが分かってきたと語ります。「正義はある日突然逆転する」とやなせさんは言います。
★やなせさんは戦争で厳しい「飢え」を経験しました。その経験からやなせさんは「逆転しない正義は献身と愛だ」と気づかされます。「それは言葉としては難しいかもしれないけれど、例えばもしも目の前で飢えている人がいれば一切れのパンを差し出すこと。それは戦争から戻った後、僕の基本的な考えの中心になりました」。スーパーマンもスパイダーマンもウルトラマンも悪い奴や悪い怪獣をやっつけると正義が勝ったということになります。「ところが彼らは飢えた人を助けに行くとか、そういうことは全然やらないのですね」「現在も、バングラデシュやエチオピア、ブラジル、いろんな国にストリートチルドレンや飢え死にしている子どもがたくさんいます。どこかの国で戦争が起きると、戦争している国同士は両方正義だ、悪い奴をやっつけると正義が勝ったのだと言ってたたかっているけれど、子どもたちのことは見てやらない。そうして子供たちは次々に死んでいますね。だからぼくが何かをやるとしたら、まず飢えた子どもを助けることが大事だと思った」。こうして、飢えた人に自分の顔を食べさせるアンパンマンが生まれることになったのです。(つづく)
by oji-church | 2014-04-09 11:01
「正義」の「裁き」

〈神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者はすでに裁かれている。神の独り子を信じていないからである。光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。〉(ヨハネによる福音書3章13~19節)

★ここで言われているのは、神様がこの世に生きる者に命を与えようとされている、そのことを信じない「悪い奴」は、もう既に裁かれているということです。ではその「裁き」の中身、つまり「悪い奴」に対する罰とは何かと言えば、それは「信じない」というその「悪い奴」の現在のありようそのものだと言うのです。「悪い奴」は、光がこの世に来ているのに、光を憎み闇を好んでいる。ではその「悪い奴」に対する「裁き」の中身、罰は何かと言えば、その「光を憎み闇を好む」という今のありさまそのものがもう「裁き」、罰なのだ、と言うのです。なかなかわかりにくいことなのですが、「悪いことをやった奴は、罰を与えられるよ。そうして酷く不幸な結末に行き着くよ」というのではなく、悪いことをやっている今のその状態がもうすでに、酷く不幸な状態なのだ、ということです。
★この場合、「裁き」というのは、くっきりすっきり目に見えて鮮やかな結果を見せてはくれません。正しい者は永遠の命を得て天国に迎え入れられ、永遠に幸せに暮らし、悪い者は地獄に投げ込まれて永遠に不幸な憂き目に陥れられるという具合に、正しい者と悪い者との運命はくっきりはっきり区別はされません。もっと白黒はっきりつけた方がいいと思われるかもしれません。でも、悪い者は今あるその者自身の有様がもう既に「裁き」になっているという、このヨハネによる福音書が語ることは大事なことのようにも思うのです。(つづく)
by oji-church | 2014-04-03 16:22 | 牧師からのメッセ-ジ