日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


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「教会創立120年に寄せて」

★自分自身の来し方を真摯に見つめ直すまなざしをもたなければ、その人に未来はありません。わたしたちはしばしば、自分にとって着心地のよい「何を着ようか」、自分にとって舌触りのよい「何を食べようか、何を飲もうか」ということに心を砕き、着心地のよさ、舌触りのよさ、そうした自分にとって「明るい」教会のありようのみに目を向けてこなかったか、考えてみなければならないと思います。
★そうして実は、わたしたちにとって本当に大切なもの、価値あるものは、わたしたちが見向きもしなかったわたしたちの足下、野の花が花を咲かせるような片隅、わたしたち自身がお互いに「病む者」であり、そういう「病む者」としてのお互いを認め合い、補い合う機会を、その恵みを、いくらでも与えられているというところにあるのだということです。「歴史を振り返る」という作業は、そのように自らの足下にまなざしを向けることに外なりません。自らの足下にある価値をしっかりと見いだして、その小ささを恐れずにしっかりと踏みとどまり、堂々と世に向かって呼びかけていく者でありたいと願います。
by oji-church | 2013-08-29 16:20 | 牧師からのメッセ-ジ
「その町の平和を求める」(2)

★2011年3月11日の震災以後、今もなお避難生活を余儀なくされている人たちが7月30日に復興庁から出された統計によれは294,000人余りいるとのことです。今も避難所にいる人が107人。福島県では、県内に避難している方が95,204人、県外への避難者数は53,277人に上ります。原子力という巨大な力によって捕囚の憂き目に遭っている人たちと言ってもいいかもしれません。そればかりではありません。若い人は働くことの困難さの中で、高齢の方は日々のいのちをつなぐことの厳しさの中で、行き場を失っているような状況がわたしたちのすぐそば、わたしたちの間にあります。実は現代にあって、わたしたちみんなが捕囚の憂き目に遭っているのではないかと思うのです。そんな自分自身の身の置き所のなさ、苛立ちや不安をぶつける相手を探して、隣国を標的に敵愾心を燃えがらせているのが、わたしたちお互いの姿なのではないでしょうか。その傍らで独り、経済だけが、大手を振って闊歩している状況です。バビロニアは中国でも韓国でも朝鮮でもなく、わたしたちの社会の上に現にいま覆い被さっている金儲け第一主義なのではないでしょうか。
★しかしそうした中でも、わたしたちは中国の人とも朝鮮の人とも韓国の人とも、顔と顔とを見合わせる出会いを与えられているではありませんか。この王子の町で。その一つ一つを大切にしていくことこそが平和を創る働きなのだと思います。そう考える時、わたしたちの暮らすこの町ばかりでなく、他の町も、東京だけでなく、北京もソウルも平壌にも平和がなければ、わたしたちにも平和がないということが分かってきます。
★その町が、ホームレスの方が路上で命を失う町であるならば、わたしたちに平和は訪れません。その町が、「韓国人をぶっ殺せ」という叫びが上げられる町であるならば、わたしたちに平和は訪れません。その町が、スポーツの試合で互いに罵声を浴びせ合う町であるならば、わたしたちに平和は訪れません。その町の平和があってこそ、わたしたちにも平和があるのだから。 国や民族同士の対立や敵愾心に煽られるのではなく、それぞれの町に生きる人々と顔と顔とを合わせながら、それぞれの人間の顔を思い描きながら、それぞれの町の平和を祈り、形作っていく者でありたいと願います。
by oji-church | 2013-08-21 12:58 | 牧師からのメッセ-ジ
「その町の平和を求める」

《イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしは、エルサレムからバビロンへ捕囚として送ったすべての者に告げる。家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子には嫁をとり、娘は嫁がせて、息子、娘を産ませるように。そちらで人口を増やし、減らしてはならない。わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから》(エレミヤ書29章4~7節)。

★エレミヤは、敵国バビロニアの町の平和を祈るように、と言います。エレミヤは「非国民」、敵のスパイではないかと言われたかもしれません。
★しかしわたしがここで心引かれるのは、エレミヤが「バビロニアの国や民族のために祈りなさい」と言うのではなく、「その町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい」と言っている点です。捕囚として送られた町で、ユダヤ人たちはバビロニアの人々と、それがどんなに異国の地の憎むべき敵、であったとしても顔と顔とを合わせて触れ合わざるを得なかったでしょう。エレミヤがここで語っているのはそういう、顔と顔とを合わせた具体的な出会い、触れあいのことなのです。無論エルサレムの侵攻に際して、バビロニアの軍隊は手ひどい横暴を振るったことでしょう。ユダヤ人にとってそれは許し難いことだったでしょう。しかし現実にユダヤ人とバビロニア人が、日々をつないで、与えられた命を一日一日精一杯生きていく、そういう日々の生活の中で出会い、触れ合う時、お互いに横暴な人間ばかりではないということを知らされる場面が多くあったのではないかと思うのです。そこにこそ本来、わたしたちが人間として生きていく本当の土台、確かな出発点があるのだということです。(つづく)
by oji-church | 2013-08-12 12:56 | 牧師からのメッセ-ジ
「誤解してはいません」

★副首相の立場にある人が、憲法改定に関わって「ナチスの手口に学んだらどうか」と発言して物議を醸しました。気になったのでインターネットで調べて発言全体を読んでみました。読んで第一には「支離滅裂」という感想。憲法改正案の発議要件の衆参議員3分の2以上の賛成の話から始まり、ナチスは民主的なワイマール憲法において民主的に選ばれたということを話し、次に20代、30代は前向きで「結構しゃべる」が、50代、60代はバブルでいい思いをしたから「一番問題」だと述べ、自分たちの世代は戦中、戦後の不況を知っているから「結構しゃべる」と言う。一体20代、30代と自分たちの世代が何を「しゃべる」のか、50代、60代の何が「一番問題」なのか、全然分かりません。
★次に自民党は「喧々諤々やりあって」元大臣が若い議員の意見も聞いて改憲草案を作ったという話。だから「狂騒のなかでやってほしくない」と言う。何が「狂騒」で何を「やってほしくない」のか分からない。次に話は靖国神社参拝に飛びます。「靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。…いつから騒ぎにした。マスコミですよ。…騒がれたら中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪のなかで決めてほしくない」。靖国参拝の話がいつの間にか改憲の話に変わっています。
★発言撤回の会見では、発言が「真意と異なって誤解を招いた」と言い「ナチス及びワイマール憲法に係る経緯について、極めて否定的にとらえていることは私の発言全体から明らか」と言っていますが、それはこの発言全体から決して明らかではありません。むしろこの支離滅裂な発言の意味を頑張ってなんとか分析すれば、「自民党が喧々諤々やりあって作った改憲草案なのだから、国民は騒がずに気づかないふりをして民主主義を否定するナチスのような改憲でも鵜呑みにすればよろしい」という意味にしか受け取れないと思うのですがいかがでしょうか。それを「誤解」とするのは「読み方(聞き方)が悪い」と、読む側(聞く側)の責任に転嫁されているようにも受け取れます。どこまで人を愚弄すれば気が済むのでしょうか(怒)。
by oji-church | 2013-08-07 14:31 | 牧師からのメッセ-ジ