日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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「一人ひとりの名を呼んで」

《ヤコブよ、あなたを創造された主は、イスラエルよ、あなたを造られた主は、今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ 》(イザヤ書43章1節)

★「み名があがめられますように」という主の祈りの言葉は、もともと聖書には「み名が聖とされるように」と書かれています。「聖」というのは「分け離されている」という意味です。つまりそれは他とは違うということです。神様は「ヤハウェ」という名前を持った、他の神様とは違う神様だ。自分たちを幸せにしてくれる神様だったらどの神様でもいいという訳じゃない。ヤハウェという名前のその神様は、わたしたちにとってかけがえのない大事な神様なんだ。「み名があがめられますように」というのは、「わたしたちがみんな、そう思えますように」というお祈りなのじゃないかと思うのです。
★ここでは神様が、あなたの「名を呼ぶ」と言っています。一人ひとりの「あなたの名を呼ぶ」と言うのです。一人ひとり、あなたの「あなたらしさ」を大切にする。「あなたは、自分にとって、かけがえのない大切な人なんだ」と。「あなたはあなたらしくあっていい」と。
★「み名があがめられますように」「神様のお名前が聖なるものとされますように」、つまり神様の名前が他のどれとも違う「かけがえのない大事なものとされますように」というお祈りは、その神様によって「あなたの名を呼ぶ」と言われたわたしたち人間一人ひとりが、本当にかけがえのない、大切な一人ひとりとされますように、という祈りでもあるのです。
by oji-church | 2013-03-28 12:41 | 牧師からのメッセ-ジ
「祈りによらなければ」

《イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」その子の父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」 》(マルコによる福音書9章21~24節)

★信じていたからと言って必ずしも何でもできるとは限りません。でもイエス様はあえてそう言ってしまうのです。イエス様にそう言わせたものは何だったのでしょうか。病に苛まれる自分の子どもの苦しみをどうすることもできないお父さんの痛み、悲しみ、辛さ、ふがいなさ、悔しさ。そんな気持ちを全部、イエス様も一緒になって噛みしめたのだろう。その中から「信じる者には何でもできる」というすさまじい発言が飛び出してきたのじゃないか。お父さんは言います。「信じます。信仰のないわたしをお助けください」。このお父さんは信仰があるのでしょうか。ないのでしょうか。誰も答えを出すことは出来ないでしょう。
★でもここに一つ確かなものがあります。「祈り」です。「なぜ、わたしたちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか」と尋ねる弟子たちにイエス様は言われます。「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」と。ここでの「祈り」とは、イエス様がこの子のために祈ってあげたから、霊は追い出され、この子は救われたのだと解釈されるところでしょう。でも、それはまたこのお父さんの「祈り」、「信仰のない」と言うこのお父さんの「祈り」でもあるんじゃないかと思うのです。イエス様は「信仰がない」という人たちとも祈りを共にすべきことをわたしたちに教えておられる気がします。震災から二年、被災地にある人たちと「祈り」を共にしてゆきたいと願います。
by oji-church | 2013-03-21 09:46 | 牧師からのメッセ-ジ
「震災から二年」

★東日本大震災から二年が過ぎようとしています。多くの人たちが震災とそれに続いて起こされた原発事故によって、いまだ終わらない痛みの中に置かれています。
★しかし社会全体にはそれを過去へ過去へと押し流そうとする力が働いているように思われます。原発を再稼働させようという力は時が過ぎ去る力を味方につけて、強まっていくようでもあります。時の流れを押しとどめられないように、それを止める力もわたしたちには無いようにも思われます。
★でも、わたしたちには「記憶する」という力があります。記憶は人との出会いや触れあいを通じて豊かなものとされ、わたしたちを未来へと導く力強い杖ともなります。聖書の中の人々を導いたのもこの記憶であり、キリスト教を二千年導いたのも記憶でした。わたしたちはこの力を無駄に捨て去ってはいけません。
by oji-church | 2013-03-13 16:40 | 牧師からのメッセ-ジ
「地上のことばかり考えているなら」

★「アフリカの主の祈り」と言われるおもしろいお祈りがあります。この主の祈りに沿いながら、それぞれの言葉に対して「もし、あなたが」という言葉が付け加えられて、その中で「天にまします」の部分については、こんなふうに語られています。「もしあなたが、この地上のことばかり考えているとするなら、『天におられる』といわないでください」。わたしたちが「地上のことばかり考えている」というのはどういう状態のことなのでしょうか。
★わたしたちはいま、誰もが多忙な毎日を送っています。でも「忙しい」という漢字は「心」を「亡くす」と書きます。忙しさの中でわたしたちは、一人ひとりの人との出会いの尊さを感じ受ける心を失っていきます。人間同士の関係は自分にとって都合のいい人とだけの関係になっていきます。それ以外の人は自分にとって「見えない存在」、あるいはもし自分にとって都合のいい人ではない人が自分の前に現れれば、その人はわたしにとって「邪魔な存在」になるでしょう。多忙の中で、それがわたしたちにとっての「現実」となっていきます。
★地面の上にべったりへばりついていたならば、遠くの景色は見えません。それと同じように、わたしたちの周りには、本当は一人ひとりの人との豊かな尊い出会いが与えられているはずなのに、それが見えなくなり、邪魔なものにしか見えなくなってしまうのです。「地上のことばかり考えている」というのは、そういうわたしたちの有様なのかもしれません。
by oji-church | 2013-03-06 13:25 | 牧師からのメッセ-ジ