日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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「クリスマス―まだ見ぬ子に向かって心を開くとき」

《主なるあなたの神に、しるしを求めよ。深く陰府の方に、あるいは高く天の方に。……見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」
(イザヤ書7章11~14節)

★今わたしたちは、原子力・核の問題や地球温暖化をはじめとする環境の問題に直面しています。その影響をもっとも被るのはわたしたちではなく、わたしたちの子どもや孫やそのまた先の世代の人たちです。これは実はわたしたちがこれまで経験したことのないまったく新しい課題です。民主主義は、今ここに生きている人の意見を大切にするという仕組みであって、まだ生まれていない人たちの意見は考慮の対象とされません。しかし今わたしたちが直面しているのは、今を生きているわたしたちよりも、これから生まれてくる人たちにこそ、大きく影響を及ぼす事柄です。それは、生まれたばかりの赤ちゃんと同じく、自分の声と言葉を今ここで挙げられない人たちです。わたしたちはまだ見ぬ子らのことを覚えながら、今を生きることを求められています。
★今クリスマスを待ち望む時にあって、わたしたちは一人の赤ちゃんの誕生に向かって心と体とを差し向けて今の時を過ごしています。それはまだ見ぬ子らの運命に向かって、自分の心を向けるということです。この時、わたしたちが「深く陰府の方に」向かってわたしたちが頼りとし、従うものを見いだすのか、それともそうではなく、「高く天の方に」、わたしたち誰もを照らし、誰もがその下で生きている空に向かって、つまりは今ここで生きている人々と共に生きることに向かって、また、これから生まれてくる人たちと共に生きることに向かって、心をつないでいくのか、深く思い巡らす者でありたいと願います。
by oji-church | 2012-12-24 12:18 | 牧師からのメッセ-ジ
「ありのまま」(3)

★イエス様は「わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。……まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である」と語ります。ここの「まこと」「真理」という言葉は、女性の言葉に対してイエス様が語った「あなたはありのままを語った」という言葉の「ありのまま」と同じ言葉が使われています。
★この女性はバカ正直に「わたしには五人の夫がいましたが、今連れ添っているのは夫ではありません。わたしには夫と呼べる人はいません」と、人目を忍んで昼日中に井戸にやって来なければならない自分の境遇を、包み隠さず語りました。それに対してイエス様は、見ず知らずの、ましてサマリア人と対立するユダヤ人であるこのわたしを信頼して、ありのままの本当のことを話してくれた。「ありがとう」とこの女性に伝えたのじゃないかしら。
★「今がその時である。父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ」。というのは、神様はあなたのような人を求めているのだということではないでしょうか。この女性のような、ありのままの姿、本当の姿、真実の姿で神様の前に立とうとする人をこそ神様は求めておられるのだ。神様の前で、取り繕って見せて、自分の正統性をやかましく言い立てるような人間たちではなく、ということです。そうしてイエス様にとって、この女性と出会うことができた今こそが、まさにそんな神様と出会うチャンスなのだということです。
by oji-church | 2012-12-18 21:06 | 牧師からのメッセ-ジ
2011年3月11日。
あの地震、あの津波、あの事故。
わたしたちは心と体に深い傷を負ったはずでした。
それから1年と9ヶ月。
その傷は癒えましたか。それとも傷の痛みを
べつの心配事で覆って、忘れようとしているのでしょうか。

クリスマスがやってきます。
わたしたちと共に傷を受けるために来たった人の
生まれた日。
わたしたちが、たがいの見えない傷に手を当てあうことを忘れないために。

高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、
暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、
我らの歩みを平和の道に導く。(ルカによる福音書1章78~79節)


*クリスマスこどもとおとなの合同礼拝
 12月23日(日)午前10時30分~11時30分
 メッセージ:「クリスマスに見つけられて」大久保正禎牧師
 *礼拝後、食事を囲んでお祝いの会を行います。どなたでもご参加いただいけます。

*クリスマスイブ・キャンドルサービス
 12月24日(月)午後6時~7時30分
 メッセージ:「どこで、だれと、この夜を」大久保正禎牧師

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*この絵は、在日イラン人難民の方が描いてくださったものです。
by oji-church | 2012-12-12 12:08
「ありのまま」(2)

★気になるところがあります。「あなたの夫をここに呼んできなさい」とイエス様は女性に言います。どうして突然こんなことをイエス様が聞いたのかは謎です。「お前の身持ちの悪さを暴露してやろう」という魂胆でしょうか。どうもイエス様らしくありません。少なくとも、正式に婚姻届を出したあなたの夫をここに連れてきなさい、どうだ出来ないだろう、なんていうことではなく、ただ、今あなたが生活を共にしているパートナーをここに連れてきてほしい、と言ったのじゃないかしら。その方がまだイエス様らしくないか。ところが女性はバカ正直に「わたしには夫はいません」と答えたのです。これに対してイエス様は暴露口調で「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。あなたには五人の夫がいたが、いま連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ」と言っています。「お前の秘密は全部分かっている」とうそぶくようなイエス様。正直イヤな感じです。むしろあの「長血を患った女性」との触れ合いの場面で、誰が触ったか分からずオロオロと探し回るイエス様の方がわたしは好きです。もしかしたら女性の方から「わたしには五人の夫がいましたが、今連れ添っているのは夫ではありません」とやはり「バカ正直」に答えたのかもしれません。それを聞いてイエス様は「あなたは、ありのままを言ったわけだ」と言う。これもどうも見下しているような感じがする。「言った『わけ』だ」というところに、彼女の正直な発言を軽く見てせせら笑うような響きが感じられます。実際もとのギリシア語の聖書を読んでみると「わけだ」と訳す言葉はありません。単純に「あなたはありのままを語った」と書かれているだけです。(つづく)
by oji-church | 2012-12-12 11:51 | 牧師からのメッセ-ジ
「ありのまま」(1)

《イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」イエスが、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言われると、女は答えて、「わたしには夫はいません」と言った。イエスは言われた。「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。》 (ヨハネによる福音書4章13~17節)

★井戸端は、女性が集まってわゆる「井戸端会議」をする場所でした。水汲みという重労働は、日差しがきつくなる前の朝方にやる仕事でした。ところがこの場面は「正午ごろのことである」と語られています。女性は「ふしだらな女」というレッテルを貼られて、人目を忍んで、人のやってこない昼日中に井戸に来なければならなかったのです。そういうこの女性に対して、イエス様は最初こそ「水を飲ませてください」と下手に出ながら、結局は「『生きた水』によってあなたを救ってあげよう」とお説教を垂れているように読めます。でもそんな「イエス様」は、なんだかイエス様らしくないな、という気がするのです。あの「長血を患った女性」との触れ合いの場面ではイエス様は「あなたの信仰があなたを救った」と語ります。「わたしがあなたを救ってあげよう」なんてお説教は垂れないのです。(つづく)
by oji-church | 2012-12-05 11:57 | 牧師からのメッセ-ジ