日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


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「いいバラバラ」と「悪いバラバラ」(2)

★「律法全体は『隣人を自分のように愛しなさい』という一句によって全うされるのです」とパウロは語ります。「隣人を自分のように」ということ。隣人から見たら、わたしは「違う人」です。でもある時、その隣人が不思議にも「違う人」であるわたしを愛してくれたという経験をする。それが「イエス様と出会う」という経験ではないでしょうか。
★牧師という仕事に就いてみて、「牧師なんてありとあらゆる自分と違う人と付き合い、面倒を看なければならない、厄介な仕事だ。俺には向いてない。早く辞めたい」なんて思っていた時期が続きました。でも、そんな中で、不思議にもわたしと「違う人」が、その隣人が「違う人」であるにもかかわらず、「違う人」であるわたしを助け、大事にしてくれた。そんな経験を幾つもさせられてきました。あの時イエス様に出会っていたのだといま思います。「違うからこそ、もっとよく知り合いたいと向き合って、大切にする」そんなバラバラ、「いいバラバラ」がそこにありました。
★イエス様は荒れ野で見ず知らずの五千人以上の人に向き合って、弟子たちに「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と言います。「違うからこそ、大事にし合おう」と決心し、見ず知らずの違う者同士でも大切にし合う、分かち合って一緒に食べる、そのようにして愛し合う、という不思議な経験、奇跡を起こしてくれました。そこがわたしたちの出発点なのでしょう。わたしたちもここから出発して、違う者同士なのに、不思議にも大切にし合う、そんな経験を拡げてゆくものでありたいと願います。
by oji-church | 2012-07-22 15:20 | 牧師からのメッセ-ジ
「いいバラバラ」と「悪いバラバラ」(1)

〈この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。だが、互いにかみ合い、共食いしているのなら、互いに滅ぼされないように注意しなさい〉(ガラテヤの信徒への手紙5章13~15節)
★「お互いに」という言葉は、英語では「イーチ・アザー」と言います。「イーチ=それぞれ」が「アザー=違う人」だ、という言葉です。違う人、見ず知らずの人同士がそれぞれに向き合うことを「お互いに」と言うのです。考えてみれば日本語の「たがいに」という言葉も「たがう=違う」という言葉から来ている言葉です。「互いに」「お互いさま」とは、相手と自分は「違う」というところからこそ出発するものなのです。
★この世に二人と同じ人間はいません。どんなに気心が知れあっていたとしても、相手はやはり自分とは違う人、なのです。まさに「イーチ=それぞれ」に「アザー=違う人」なのです。わたしたちはもともと誰もがバラバラな存在なのです。バラバラそれ自体は決して悪いことだとは思っていません。ただバラバラにも「悪いバラバラ」と「いいバラバラ」があると思っています。「悪いバラバラ」とは、「お互いに違うから、そっぽを向き合っている」というバラバラ。「いいバラバラ」とは、「お互いに違うから、相手のことをもっと知ろうと思って、向かい合っているバラバラ」です。(つづく)
by oji-church | 2012-07-19 09:11
「誰が誰より大きいか」(3)

★福島に除染活動のボランティアに行ってきました。まだそこで子どもたちに出会ってきました。登り棒にしがみついている子ども。園庭の遊具を思いっきり揺らしている子ども。この子どもを自分自身の中に迎え入れること。大きくもなく、小さくもなく、「早く大きく立派に偉くなれ」なんていわれたら、何のことか、サッパリ分からずに、きょとんとしてしまうような子どもを、わたしたちの中に迎え入れること。わたしたちがそういう人間となるということ。それがイエス様が望み、求められたことなのではないでしょうか。
by oji-church | 2012-07-07 10:37 | 牧師からのメッセ-ジ
「誰が誰より大きいか」(2)

★誰が誰より大きいか? それがいまのわたしたちの世界を覆っている物差しではないでしょうか。「はやく原発を動かさないと、他の国より大きな国でいられなくなるよ」。そういう声にせき立てられて、原発をもう一度動かそうとする。その傍らで、もう野山を走り回ったり、道端の草花をむしったりすることの出来なくされた子どもたちが、うずくまるようにして生きているというのに。子どもを子どもでいさせないようにする世の中を、わたしたちは作ってきてしまったのじゃないでしょうか。
★もしかしたら、原発の事故の前から、わたしたちは放射能に汚染され、被曝していたのかもしれません。「誰が誰より大きいか」という目盛りで計られる放射能に。とりわけわたしたち都会のおとなや子どもは。(つづく)
by oji-church | 2012-07-07 10:35 | 牧師からのメッセ-ジ
「誰が誰より大きいか」(1)

《イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」》
(マルコ9章35~37節)

★イエス様について道を進むうちに、弟子たちの間に議論が巻き起こります。「だれが一番偉いのか」という議論です。もとのギリシア語通りに訳せば「誰が誰より大きいか」となります。
★誰が誰より大きいか? それがいまのわたしたちの世界を覆っている物差しではないでしょうか。(つづく)
by oji-church | 2012-07-07 10:34 | 牧師からのメッセ-ジ