日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


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「生の根っこの悲しみに」

★ 先週の月曜日に北支区の信徒大会があり、岩手で津波の被害を受け仮設住宅で暮らしておられる方、また、福島第一原発から二四キロという場所で本当に苦悩しながら保育園の園長先生をされている方のお話を伺いました。会が終わった後、一緒にお食事をした時のことが深く印象に刻まれています。参加者がそれぞれ自己紹介と挨拶をした後、保育園の先生は声を詰まらせて何も話せなくなられました。何かを話そうとすると涙が出てきてしまうと言われます。それを受けて岩手の方のお連れ合いがこういうことを言われました。震災の後、支援のために訪れた人にこう言われたと言うのです。顔ではなるべくニコニコ笑いってはいるけれども、(アゴの下に手を当てて)ここまでは涙です、と。
★聖書が語る神様の約束は、既存のルールに従って、見た目を清く正しく立派に整えることのできた人たちだけを救ってあげるという約束ではありません。それは結局人間が作り出したルールに過ぎないものです。神様の約束は見た目を清く正しく美しく整えた人に向けてだけではなく、生きるわたしたちみんなのいのちの根っこに向けられた約束です。すべての人が抱えている生きることにまつわる悲しみに向かって、神様の側が「自分はこの悲しみを共にして、必ずこの悲しみに向かって祝福を注ぎ、守り、愛さねばならない」と約束されたのだということです。
★わたしたちにとって生きるということは、何と難しいことかと思う時があります。生きていれば楽しいことや嬉しいこともあるのは事実ですが、それ以上に悩ましいこと、苦しいこと、悲しいこと、辛いこと、思い通りにならないことに、幾つもわたしたちは出会わなければなりません。でもそんなわたしたちの生きることの根っこには「自分はこの悲しみを共にして、必ずこの悲しみに向かって祝福を注ぎ、守り、愛さねばならない」という神様の約束が響き続けているのです。だからこそ、わたしたちはこの神様の約束と呼び交わしながら、隣り人の悲しみを共に分かち合わなければならないよと呼びかけているのでしょう。
by oji-church | 2012-01-25 15:16 | 牧師からのメッセ-ジ
「人間の『考え』の限界」

★昨年末に出された福島第一原発の事故調査委員会の中間報告書は最後のところで「想定外」ということに触れています。その中で次の一文に目を惹かれました。「人間は物事を考えるとき、考える範囲を決めないときちんとものを考えることができない」。
★人間は「考える」ということ一つを取ってみても万能ではないということでしょうか。人間が何かを「考える」ということは必ずもう一方に「考えない」部分を生み出してしまうということです。「考える」という人間の振る舞いにはどうしても「考えの及ばない部分」がつきまとってしまうのです。現代を生きているわたしたちはほとんどそのことを忘れているのかもしれません。人間の「考える」力には限界がないと思っている。
★確かに人間はあれこれと物事を考えることのできるすばらしい能力を持っているのだけれども、人がものを考えているその傍らには常に考えていない部分が残っているということを覚えておかなければなりません。
by oji-church | 2012-01-21 13:05 | 牧師からのメッセ-ジ
「あなたを愛そうと思う」

★昨年は、東日本大震災を経験し、年賀状に「おめでとう」という言葉を使うことを控える風潮があることが報道されていました。さっそく辞書を出してきて「おめでとう」という言葉の意味を調べてみたところ、もともとは「愛(め)でる」という言葉と「甚(いた)し」という言葉がつながって「めでたし」という言葉になったということです。辞典の最初の意味には「好み愛したい感じがする」と書かれていました。
★この意味でいくと「おめでとう」という言葉には、「自分は愛したいと思う」という決意表明の意味が込められていることになります。「おめでとう」という一つの言葉の意味を調べているうちに、そこに隠された「わたしはあなたを愛そうと思う」という意味に、何か心惹かれるものを感じるようになりました。
★天使ガブリエルは結婚前のマリアさんの前に現れて「おめでとう、マリア」と告げます。天使の告げる内容はマリアさんが結婚前に身ごもるという出来事であり、当時にあってはすぐさま「おめでとう」などと言祝げる内容ではありません。しかしガブリエルの「おめでとう」の一言には、神様の「わたしはあなたを愛そうと思う」という決意が込められていると読んだらどうでしょう。
★物事が少しでも自分の思い通りになることを人々が願い、そうなれば喜び言祝ぐ傍らで、神様は自分の思い通りになろうとすることを断念し、貧しく弱く小さくされたマリアさんに歩み寄り「わたしはあなたを愛そうと思う」と決意をされた。事実、神様の思い通りにはならず、生まれたイエスはやがて人々から憎まれ、十字架に掛けられることになりました。それでも神様はマリアさんに対する「わたしはあなたを愛そうと思う」という決意を忘れず、その言葉通りにこの世を愛され続けた。それがクリスマスに始まる、神様の働きの物語です。
by oji-church | 2012-01-11 09:59 | 牧師からのメッセ-ジ
「新しい人よ、目覚めよ」

〈キリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として和解させ、十字架によって、敵意を滅ぼされました〉(エフェソの信徒への手紙2章15~16節)
★あけましておめでとうございます。日本漢字能力検定協会が年末に発表しているその年一年を表す漢字。昨年は「絆」という漢字でした。東日本大震災に直面して、あらためて人間同士のつながりの大切さに気づかされた昨年一年を表すにふさわしい漢字とも言えるでしょう。
★「絆」という漢字について調べてみると、こんなふうにありました。「①ほだし。きずな。馬の足にからめてしばるひも。また、人を束縛する義理・人情のたとえ。②つなぐ。ほだす。しばって自由に行動できなくする。」どうももともとはあまりいい意味のない字のようです。
★昨年末にやっていたあるテレビ番組で面白いことを学びました。人類は進化の中で仲間同士、獲物や食物を分かち合って互いに支え合い、養い合う力を発展させてきました。その一方で人類はまた「仲間」という枠の外にいる人間に対して敵対的に振る舞い、戦い、排除する能力も発展させてきたのだと。
★「絆」は、一方でわたしたちを敵/味方という枠に縛り付けるものでもあります。しかしまた「絆」は敵/味方という枠を生み出す自己中心主義に対して自分自身を戒める「縛り」ともなります。
★キリストの十字架は後者の「縛り」を表してるのかもしれません。この「縛り」と向き合って、わたしたち自身が「新しい人」として目覚める新たな年になってほしいと願うばかりです。
by oji-church | 2012-01-11 09:57 | 牧師からのメッセ-ジ