日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


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「あなたは神様ほどにも価高い」

★キリスト教会は古来、「イエス・キリストは神様とまったく同じ」(ニカイア信条)、「イエス・キリストはまったくの神様であると同時に、まったくの人間である」(カルケドン信条)ということを教理として定めてきました。
★どうも人間の内には「神様といえば完全無欠の聖なる存在、この上ない価値のあるもの。一方人間は欠けだらけで、汚らわしく価値も低い存在」という思いこみ(観念)があります。それに対して教会は、人間とは脆く弱く欠け多い存在だけれども、そういう人間一人ひとりが神様ほどにも価値ある存在なのだ、ということが、イエス様の生き様に、確かに示されていると宣言したのです。
★イエス様一人が価値ある人間ということではなく、イエス様という一人の人を通じて、イエス様とまったく変わらず「人間」であるわたしたちが皆、神様と同じくらい価値ある存在なんだと言われているのです。一見すると空疎な作り話のようなキリスト教の教理の中に、実は「あなたがどんなに脆く弱く欠け多い人間だったとしても、あなたは神様ほどにも価値ある、掛け替えのない存在なのだよ」という呼びかけが響いているのです。
★イエス様が生まれて寝かされた飼い葉桶が完全無欠のベビーベッドと較べてどんなに貧相で汚らしく見えたとしても、それはマリアさんとヨセフさんが生まれてきた赤ちゃんを大切に横たえた、この世でただ一つの価値あるベビーベッドなのです。この飼い葉桶が自分だと思ってみてください。欠け多く、脆く、弱い器です。時には汚らしく、まったく価値がないようにも思われます。けれども、その欠けたる器を掛け替えのない価値ある器として、そこに宿り、身を横たえ、一緒に生きてくれる人があるのです。神様と同じくらい価値あるものとして。イエス様が飼い葉桶に寝かせられたということの中には、そういうメッセージが込められているのではないかと思ってみるのです。
by oji-church | 2011-12-28 15:02

クリスマス礼拝のご案内

2011年3月11日、わたしたちは東日本大震災という未曾有の災害、それにつづく原子力発電所に事故を経験しました。それによって多くの人たちが家や仕事を失い、また大切な人の命さえ奪われ、住み慣れた場所を離れてさびしく暮らすことを余儀なくされています。改めてわたしたち人間の「もろさ、小ささ、弱さ」を知らされた年でした。クリスマスはイエス様が人の「もろさ、小ささ、弱さ」のただ中に生まれ、さびしく生きなければならなかった人々と共に生きられ、そしてその身を投げ打って人々の希望となられたことを見いだす時であると聖書は告げています。わたしたちもこのクリスマスにあらためて、共に生きることによって生まれる希望を見いだしたいと願っています。
ご家族でお誘い合わせの上、多くの方々のご来会をお待ちしております。

高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、
 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、
  我らの歩みを平和の道に導く。(ルカによる福音書1章78~79節)


*クリスマスイブ燭火礼拝(キャンドルサービス)
12月24日(土)午後6時~7時30分
 メッセージ:「ただあなたと共にいるために」大久保正禎牧師

*クリスマスこどもとおとなの合同礼拝
12月25日(日)午前10時30分~11時30分
 メッセージ:「かいばおけのなかに」大久保正禎牧師
 *礼拝後、食事を囲んでお祝いの会を行います。
   どなたでもご参加いただいけます。

下の絵は在日イラン人難民の方が描いてくださったものです。
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by oji-church | 2011-12-25 12:00 | 全体のお知らせ
「クリスマスを告げるメッセージは」

《これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。…学者達はその星を見て喜びにあふれた」》(マタイによる福音書2章3~10節)
★聖書のメッセージは、今ある社会の現実をそのままに祝福するメッセージではありません。それは、いまある社会の不正や歪みをわたしたちに明らかに指し示し、それとは違う社会のあり方へとわたしたちを導くメッセージです。だから、現実の社会の歪みの上に浸りきって、自分の利益だけを求めて生きる人には、そのメッセージは不安と恐れを引き起こします。一方、現実の社会の歪みを告げ知らせる声と言葉に耳を傾け、本当に大切なもの、真実とは何かを求める人にはそのメッセージは、喜びに溢れたものとなるのです。
★東方の博士らは最初、「ユダヤの王」といえばエルサレムの王宮に生まれるものというこの世の現実そのままに従ってきました。けれども星に導かれて、本当に大切なものは、貧しい人びとから搾り取った富によって建てられた王宮の中ではなく、世の片隅に生まれる小さな子どもの命をみんなで守ることの中にあるのだという真実を見つけ出したのです。
★3月11日の大震災は、多くの人の目に涙を浮かび上がらせました。その悲しみの中で迎える今年のクリスマスの時、わたしたちは問いかけられているのではないでしょうか。いままでの現実をそのままに言祝いで、だれかの犠牲の上に、自分の富や豊かさを求める道を進んでいくのか。そうではなく、そしてあのベツレヘムの片隅に生まれ、わたしたちのために、わたしたちと共に十字架の道へと飛び込まれるイエス様と出会い、わたしたちもまた、小さくされた多くの人たちの涙を共にしながら、その涙を拭い、一緒になって違う道を見いだそうとする働きへと招かれるのか。クリスマスのメッセージを本当に心の底からの喜びをもって受け入れる者とされてゆきたいものであります。
by oji-church | 2011-12-23 15:39 | 牧師からのメッセ-ジ
「幸せかい?」(3)

★わたしたち人間の社会が便利さ・快適さを追求してきたその原動力には、自分や人の手を・体を煩わせたくないという理由の他に、実は人と触れ合いたくないという理由もあったのかもしれません。
★しかしそんなわたしたちに向かって問いかける声が寅さんの響くのです。「幸せかい?」と。確かに人や自分の手や体を煩わせず、また、人と触れ合って予想外の出来事に煩わせられないことは便利で快適なことかもしれません。しかし、その便利さ・快適さはわたしたちにとって「幸せ」なのだろうか。そのように問い直してみるために立ち止まることをわたしたちは忘れていたかもしれません。今回の地震や津波や原子力発電所の事故は、そのことを考えるために立ち止まるきっかけをわたしたちに与えているのかもしれません。けれども、なお立ち止まらずにまた更なる便利さ・快適さを追求することこそが、あの震災からの復興に他ならないという声がわたしたちの回りには響いています。
★自分の手や体や心を疲れさせないために、人と触れ合うことを避けて、それで「幸せかい?」という寅さんの問いかけに、わたしたちはもう一度耳を傾けてみるべきでしょう。
by oji-church | 2011-12-15 10:48 | 牧師からのメッセ-ジ
「幸せかい?」(2)

★駅の改札が自動化されることによって、駅員さんの手を煩わせることがなくなりました。最近ではカードを使うことで切符を買う煩わしさも無くなりました。パソコンや携帯のメールを使うことで、何かを伝えるために自分の口と相手の口を煩わせることもなくなりました。確かに自分の体をあれこれのことに使わずに済む方が疲れずに済み、ラクに違いありません。
★便利さや快適さを追求して、いろいろなものを自動化させることは、人や自分の体を疲れさせないだけでなく、もう一つ重大な結果をもたらすことになります。それは、人と触れ合わないで済むということです。自分以外の人と触れ合うと、しばしば予想外・想定外のことが起こります。自分で組み立てた自分によって便利で快適な予定は崩されてしまうことになります。それはまた、わたしたちを肉体的にも精神的にも疲れさせることになりるでしょう。自分や人の体を疲れさせないということを目的とするならば、人と触れ合わないに越したことはありません。(つづく)
by oji-church | 2011-12-15 10:47 | 牧師からのメッセ-ジ
「幸せかい?」(1)

★11月17日の東京新聞の朝刊の一面に、映画監督の山田洋次さんのインタビューが載っていました。東日本大震災の被災地で「男はつらいよ」の上映を求める声が高いことを受けて山田監督が語っています。「今回は地震に原発事故、多くの人が大きな不安に包まれている。原因は、私たちが科学技術で便利さを追及していたことにある。それは、人と人が関わる煩わしさを取り除く歴史だった。駅が自動改札化し、会社ではパソコンでメールして口をきかない。そんな中、進歩、発展と対極にいる寅さんの生き方が妙に気になりだしたのでは」「彼は『幸せかい』と(ヒロイン役の)マドンナ、おばちゃんに尋ね、『何とかやってるわよ』との返事を聞いて幸福をつかんでいる。人とのつながりに最大の価値を感じている。自分がいわば失ってしまった幸福感を求める基準を寅さんに見いだしているのではないか」と。
★わたしたち人間の社会は、確かに便利さ、快適さを飽くことなく追及してきました。わたしたちが追求してきた便利さ・快適さを一言で言い表すならば、「人の手や体を煩わせない」ということでしょうか。(つづく)
by oji-church | 2011-12-15 10:46 | 牧師からのメッセ-ジ