日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


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「『持ち物』でない『信』」

〈しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」〉(マルコによる福音書第5章32~34節)
★「あなたの信仰があなたを救った」と言われて、この女性はポカンとしてしまったのではないでしょうか。彼女にはどこにも信仰深そうな立派さ、品行方正さなどは見えません。必死になって病気から癒されること、いや、病気が治らなかったとしても救われることを求めていただけでした。もう一方のイエス様もまた、何か立派なことをしたわけではない。ただ自分の服に触れた者を必死になって探し求めただけでした。しかし二人とも、人と触れ合うことを求めていたという点で共通しています。お互いにほとんど見ず知らずの一人の人間に関心を寄せて探し求めたのです。一方弟子たちは意に返さず、「どうせ見ず知らずの人間ではないか」と、まったく関心を寄せません。見ず知らずの人との出会い、触れ合いを求めるこの二人の間にこそ、信仰、「信」は訪れるのです。
★イエス様が指し示す信仰。それは誰の「持ち物」でもない信仰です。イエス様は、自分があなたを「癒してやる」とも「救ってやる」とも言いません。どちらが上でも下でもなく、純粋に人に関心を寄せ、その人のことを大切に思う、そんな単純素朴な出会い、触れ合いの中でこそ、「あなたは大切な存在です」とわたしたちはお互いに伝え合うことができます。それこそ「義とされる」=大切なものとされるということでしょう。そこにこそ神様の思いはあるのです。
by oji-church | 2011-06-30 09:56 | 牧師からのメッセ-ジ
「お風呂屋さんという福音」

★釜石の津波に襲われた町の中で一軒、お風呂屋さんが営業していました。そのお風呂屋さんは津波に襲われたにもかかわらず、四月に入る前から店を開いていました。しかも無料で週一日の定休日を除く毎日。周囲一帯ではまだ電気もガスも復旧していない中、今考えても、どうやって店に電気を点しお湯を沸かしていたのか不思議ですが、とにかくその心意気に感心しました。
★中はまさに芋洗いの様相です。でもお風呂に入ればみんな裸。ボランティアも被災者もありません。被災された人たちはボランティアに助けられながらも、別の面ではボランティアが近くにいることによって、自分たちがボランティアに助けられねばならない「弱い存在」であることを、強く意識させられるのではないでしょうか。でも裸になってお風呂に入れば、そこにはもう被災者とかボランティアとかいう区別は無くなってしまいます。ただ皆一様にほっとした表情をしていました。まさに裸のつきあいです。お風呂の力というのは偉大だなあと思いました。そしてまた一律無料というのも、誰もが分け隔て無く裸になれることに一役買っていたとも思います。そういう意味でも、本当にお風呂屋さんの心意気には感謝しなければならないと思いました。
★何も線を引かないただ裸の姿のうちに、わたしたちは神様の祝福を受け、必要なものは十分に与えられている。そのことを喜び、感謝すること。それがキリスト教の本来の礼拝の始まりだったのではないかと思います。
★あの釜石のお風呂屋さんで、そんな福音の真理に触れた気がしています。もしかしたら、あのお風呂屋さんのどこかにイエス様も、傷ついた体を洗っていたかもしれません。与えられたこの裸の命よりも前には、何も線を引かない。いつもそこから出発して感謝して人と出会い、触れ合っていく。そんな交わりを形作ることができたらと願うものです。
by oji-church | 2011-06-15 12:48 | 牧師からのメッセ-ジ
「傷が傷をいやすとき」

〈さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」〉(ヨハネによる福音書20章27節)

★果たしてトマスは、言われたようにその傷を見て、その傷に指を入れ、その手をわき腹の傷に入れてみたでしょうか。聖書は何も語っていません。仮にトマスが実際にその傷を見て、指をそこに入れ、手をわき腹の傷に入れてみたと考えてみるのです。しかしそのときにはトマスの行為は、もはや本物のイエス様かどうか、調べ、確かめてみるという当初の思惑とはまったく違う意味合いになっていたのではないかと思うのです。イエス様の傷に触れながら、その傷の痛み、疼きを自分自身の体の痛み、心の疼きとして感じ取る。そういう意味の行為変えられていたのではないでしょうか。
★トマス自身、深く傷ついていたでしょう。十字架に引かれゆくイエス様を見捨てて逃げてしまった自分に対して。何も出来なかった自分に対して。
そして実際にイエス様の手の傷、わき腹の傷に触れることによって、トマスは自分自身の内なる傷に気づかされたのではないでしょうか。その自分自身の内なる傷の痛み、疼きを、イエス様が共に分かち合ってくれていることを知らされたのではないでしょうか。
★普段わたしたちは、傷というのは悪いものだと思っています。しかし、わたしたちが心に受ける傷、その痛手、疼きは、もしかしたら誰かが一緒に傷ついてくれることによって、癒されるということがあるのではないでしょうか。
by oji-church | 2011-06-08 13:58 | 牧師からのメッセ-ジ
「見てきた範囲での被災地の今」

★被災地では現在も食品や日用品が支援物資として求められています。その理由ですが、釜石では避難所から仮設や公営住宅への移転が始まっています。しかしローンを抱える(新築の自宅の引き渡し翌日に被災したという人もいました)一方で、職を失うなどの状況があります。生活の根幹そのものが揺らいでいる状況です。仮設が当たっても、さし当たり三食が提供される避難所を出ることができないという方もおられます。
★津波に遭っていない地域では店舗はほぼ平常通り営業が始まっており、必要な物資はいくらでも購入できます。しかし上記のような状況の中、また被災した自宅を補修しても、そこに住み続けることができるか極めて不透明な情勢にあって、皆、将来の生活に対して深い不安を抱いています。そんな訳で、無償で入手できる食品や日用品があれば、何であっても助かるという声を強く聞きました。
★避難所から仮設や公営住宅への移転は、子どもが多くいる世帯や高齢者の居る世帯を優先し、抽選で行っていますが、利便性の高い仮設は人気が高くなかなか当選しません。一方、一度の抽選で当選する人もいたりなど、仮設への移転を巡って不満が芽生え始めています。他にも瓦礫の撤去が遅れている地域もあり、そのことでの不満も芽生え、今後、将来への不安を巡っての様々な葛藤を受けとめる精神面でのボランティア支援の大切になるのではと思います。
★市の担当者によると12年分の廃棄物が一挙に出たということで、それらすべて分別する必要があり、そのために瓦礫の撤去が遅れるという事情もあるようです。とても釜石市の処分場だけではまかないきれず、他の自治体の応援に期待しなければなりませんが、そうなると移送する手段が必要になります。
気候が夏に向かう中、瓦礫や放置された被災建物の中のものの腐敗が進み、ハエが大発生しています。衛生面が気遣われます。
by oji-church | 2011-06-04 10:42 | 牧師からのメッセ-ジ