日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


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「モノよりもつながりを」

★震災から二週間と二日が過ぎました。この間、王子教会では募金を集めること、被災地に支援物資を送ることをしてきました。充分な物資を早く被災地に届けることが出来ているだろうかという思い、その一方で、わたしたち自身、これで息切れしてしまわないだろうかという思いが渦巻き、わたし自身も気持ちを揺らしながらこの16日間を過ごしてきました。
★ただしかし、支援物資という「モノ」は充分でなくても、一人の裸の人間として、被災を受けた方の前で「わたしがここにいます」との声を挙げ続けることが何よりも大事ではないかと思います。
★被災地にある一人牧師さんはこうおっしゃっておられるとのことです。「モノよりもつながりだ」と。
by oji-church | 2011-03-30 13:42 | 牧師からのメッセ-ジ
「他者への思いを蓄え」

★3月11日の東北関東大地震以来、東北の被災地の過酷な被災状況、福島原子力発電所の事故の悪化などが伝わり、多くの方々が不安の中で時を過ごしていることと思います。
★東京では食料品や生活物品、ガソリンなどの買い占めが起こり、スーパーやガソリンスタンドには長蛇の列が出来ています。その一方で、被災地からはガソリンや燃料、食料の逼迫が伝わってきます。
★他方、多くの人たちが被災地の人たちのために何かできることはないかと思案していることも確かです。今はその思いをこそ蓄え、広げてゆきたいと願います。
★「計画停電」などが行われ、それぞれが不安の中にあることと思いますが、その不安は被災地で避難している人たちの不安と繋がっていることを覚えましょう。東京近辺の人は、被災地で避難している人たちの不安を汲み上げ、我が身に負うことがいま求められていると思います。
by oji-church | 2011-03-26 10:28 | 牧師からのメッセ-ジ
「震えつつ、祈りつつ」

★テレビで東北の被災状況や原発の事故、コンビナートが炎上する様子を目の当たりにして、言葉がありません。東京の様々なものが整った生活の中にあってさえ、右往左往している自分の有様に忸怩たる思いもあります。
★いまは震えつつ、祈るばかりです。過酷な被害に遭われている方々に、思いを尽くしたいと願います。
by oji-church | 2011-03-16 12:02 | 牧師からのメッセ-ジ
「男たちはどこへいった?(Ⅱ)」

★イエス様は、弟子たちの前にしゃがみ込んで自ら弟子たちの足を洗いました。実は今日のこの場面で「もてなし」と訳されている言葉は、「仕える」という言葉とまったく同じ言葉なのです。イエス様は「わたしは仕えられるためではなく、仕えるために来た」と言います。本当は、イエス様はこの場面で、自分はただ座ったままマルタを呼びつけるような態度とは違う、もっとこのマルタの「もてなす」という働きを共に分かち合うような態度を、示されたのではないかと。
★ある女性の牧師さんがこの場面についてこんなことを語っておられます。女性が料理や接待に心を奪われるのは、料理や接待が、家族や他人との交流の手応えをはっきりと与えてくれるものだからだと。言葉は人と人とを結ぶ絆であるけれども、料理も同じである。女性は思想という意味での言葉を使う代わりに、たのしく食べて生きるという意味で料理を言葉としてきたのだと(またつづく)。
by oji-church | 2011-03-09 09:12 | 牧師からのメッセ-ジ
「男たちはどこにいった?」

〈主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」 〉(ルカによる福音書10章41~42節)。

★この場面を読んで、どうも腑に落ちない思いをわたしはずっと抱えています。この場面の初めには、「一行が歩いて行くうち」とあって、またマルタが「いろいろのもてなしのためせわしなく立ち働いていた」とあるくらいですから、かなり大勢の人たちがこのマルタとマリアの家には入っていたと思うのです。そして恐らくその多くは男性だったでしょう。この男たちは何をやっていたのだという思いが残るのです。
★マルタは確かに「もてなし」という大事な働きを一身に担っているし、マリアも女性ばかりに背負わされた役割分業から解放されたいという、女性の熱い願いを体現しています。どちらも悪いことをしているのではない。なぜマルタとマリアの間に議論が起こらねばならないのか。それは男性があたかも自分たちには関係がないことのように傍観者となっているから、ではないでしょうか。そんなに大勢の男たちがイエス様についてぞろぞろとマルタの家に来て、ご相伴(しょうばん)にあずかるのなら、自分たちで手伝ったらいいではないか。
★それにしても、イエス様が、マルタを呼びつけるのではなくて、ペトロを呼びつけて「お前が手伝え」と言ったと聖書に書いてあったら、どんなにかスッキリするだろうなんて思ってしまいます。(つづく)
by oji-church | 2011-03-02 14:36 | 牧師からのメッセ-ジ