日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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「動く神」

★よく新約聖書の神様は慈愛の神様、旧約聖書の神様は怒りと裁きの神様というような具合に分けられることがあります。しかし旧約聖書をよく読むならば、決してそんな分け方はできないことが分かってきます。
★確かに旧約聖書には、神様が人間を裁くために力強く働いて、天変地異を起こしたり、戦争を指導したりする様子が多く語られています。ノアの箱舟のお話でも、神様は人間を裁いて洪水を引き起こして、箱舟に乗ったノアの家族と動物たち以外はすべてを滅ぼしてしまうことが語られています。
★しかし、こうも考えられるのではないかと思うようになりました。つまり神様は、人間やこの世の事柄にはとんと無関心で悠然と構えている「動かない神」なのではなく、人間やこの世の事柄に繊細に心砕き、心を動かされる「動く神」なのだということ。そのことを旧約聖書はわたしたちに訴えようとしているのではないか、ということです。(つづく)
by oji-church | 2010-11-24 12:00 | 牧師からのメッセ-ジ
「イエス! イエス! イエス!」

★11月12日の朝日新聞夕刊に広島で開幕した「ノーベル平和賞サミット」の記事が載っていました。ノーベル平和賞を受賞した多くの著名人の発言が載っていましたが、受賞者ではない一人の人の発言に心惹かれました。広島平和記念資料館の元館長で被爆者の高橋昭博さんの言葉です。「原爆には憎しみを持っていますが、憎しみで憎しみを消すことはできません、他の人に心を開くことを決して忘れてはならないと思っています」。
★一方、同じ新聞の文化欄には今年ノーベル平和賞を受賞した、なお獄中にある中国の活動家・劉暁波(りゅう・ぎょうは/リウ・シアオポー)さんが米国ペンクラブの「バーバラ・ゴールドスミス著作の自由賞」を受けた記事も載っていました。その中で劉さんの妻、劉霞(リウ・シア)さんのこんな挨拶の言葉があります。「劉暁波は不器用だが勤勉な詩人で、たとえ投獄されても詩を書くことを放棄しませんでした。……詩人のほとばしる情熱をもって、中国の民主化を進め、独裁者に向かって、ノー! ノー! ノー!と繰り返してきました。……そして詩人の温かなやさしさをもって、無実の罪で殺された人の霊魂、親愛なる友や私にイエス! イエス! イエス!と繰り返してきました」。
★高橋さんは、「憎しみで憎しみを消すことはできない」と語ります。なぜなら憎しみは、相手を「無き者」にしてしまいたいという「無への欲望」から生まれるからです。戦争や独裁は、そのような「無」への欲望に突き動かされた人間のなすことです。劉さんはそのような欲望に対して「ノー」を突きつけます。しかし「詩人のやさしさ」をもって、殺された人や友など「小さくされている人たち」には「イエス」を語るのです。やはり本当の意味で歴史を前に進める力は、「憎しみ」ではなく、「イエス」、他者を肯定すること、「他の人に心を開くこと」から生まれるのでしょう。「ノー」(いいえ)という否定語が、英語では「無」をも意味することは示唆に富んでいます。
by oji-church | 2010-11-17 10:19 | 牧師からのメッセ-ジ
「人は人の道具ではなく」

〈あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ〉(マルコ12章24~25節)

★サドカイ派の人々は人の命も死も、すべて自分たちの繁栄や幸福のための道具と見なし、思い通りに支配しようとする。
★わたしたちは大切な人を失い、自分の心の一部をもぎ取られたよう感じて痛む。しかし、そのときわたしたちは、その大切な人を自分の幸福のための道具のように見なしてはいないかと、イエスは問うているのではないか。
★人は、本来一人ひとりが天使のように、直接神と向き合い、息を吹き込まれて命を与えられ、生き、死ぬものだ。この一人ひとりに神は、一人ひとりの神として、死後も思いを注ぎ続け、寄り添い続けるのだ。「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」とは、そういう一人ひとりに永遠にわたって寄り添い続ける神の消息を語っている。
by oji-church | 2010-11-10 15:48 | 牧師からのメッセ-ジ
「神は人の道具ではなく」

〈お前は神に劣らぬ腕をもち、神のような声をもって雷鳴をとどろかせるのか〉(ヨブ記40章9節)

★ここで神はヨブに向かって「お前が悪人を打ち据え、滅ぼし去ってみよ」と問いかけます。しかし神ご自身が悪人をそのように扱うことはしない。神の計画は、神が造られた全てのものの自由をただひたすらに愛し、その愛をもって世を包むことにおいてこそ、この世の正義を形づくるということなのである。
★それを「分かったようなつもり」になって、人間の都合にで人を裁き、そうすることで人間が自らを神の立場に置き、神を自分に都合のよい「道具」にしてしまうことがここでは問われているのである。
★わたしたちには計り知れないものがあり、しかしそれは命を滅ぼすものではなく、すべてをどこまでも愛し続ける力なのだと聖書はわたしたちに告げている。
by oji-church | 2010-11-04 11:10 | 牧師からのメッセ-ジ