日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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「本当の平和とは」

「子どもたちをわたしのもとに来させなさい。妨げてはならない」(マルコ10:14)。

★北支区社会部の主催による武藤一羊さんという長年アジアの平和運動に携わってこられた方の講演に深い示唆を与えられました。戦後日本は米軍の占領からの独立と引き替えに沖縄を差し出しました。それは昭和天皇の意志でもありました。沖縄は日本の独立から引き離され、銃剣とブルドーザーによって暴力的に人々を土地から追い立てて造られた米軍基地はそのまま残されました。
★戦前の天皇が帝国憲法によって「神聖ニシテ侵スベカラズ」とされたように、戦後は日米安保が「神聖ニシテ侵スベカラ」ざるものとなりました。沖縄の人々の上には「神聖ニシテ侵スベカラ」ざる重く大きなフタが閉められました。
★「普天間基地を国外、最低でも県外へ」とする先の首相の言葉は少しだけこのフタを開けました。するとその隙間から、基地のない平和な暮らしを求める沖縄の人たちの声が一斉に噴き出してきたのです。それで慌てて「抑止力」という一言でもってすぐさま再びこのフタを閉めてしまいました。このフタの下で、沖縄の人たちの戦争は今に至るまで続いているのです。
★「抑止力」などという一見モノの分かったようなコムズカシイ言葉を好むのは、この世の中で自分たちこそ主人公だと思いこんでいる大人の男性たちです。しかし「抑止力」などよっては、本当に人間が人間として自由に生き生きと生きることはできないことは、もう分かり切ったことでしょう。軍備によって守られるのは、軍備そのものか軍隊に命令を下す権力者だけです。イエス様は男性の権威・権力ではなく、権力や権威など何も持たず、価値のない、取るに足らないと思われていた女性や子どもたちの命そのものを愛そうとされたのです。本当の平和とはそのように本当の命そのものが愛され、大切にされることなのでしょう。
by oji-church | 2010-08-10 15:10 | 牧師からのメッセ-ジ
「『みんなちがって、みんないい』と言うために」

《体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです》(Ⅰコリント12章22節)

★わたしが両手をひろげても、
 お空はちっともとべないが、
 とべる小鳥はわたしのように、
 地面(じべた)をはやくは走れない。

 わたしがからだをゆすっても、
 きれいな音はでないけど、
 あの鳴るすずはわたしのように
 たくさんのうたは知らないよ。

 すずと、小鳥と、それからわたし、
 みんなちがって、みんないい。

★金子みすずさんの詩の優れた点は「お空はちっともとべない」「地面をはやくは走れない」「きれいな音はでない」「たくさんのうたは知らない」。出来ることより出来ないことを並べて「みんなちがって、みんないい」と言った点でしょう。「出来る」高みからではなく「出来ない」低みに立って、そこから「みんないい」とさらりと言い切る、それがわたしたちの常識を軽々とひっくり返して新鮮に響きます。こういう詩はなかなか書けないものです。本当に「みんな違ってみんないい」と言えるためには、世の常識に逆らって敢えて「弱さ」「できなさ」に踏みとどまる決意、決心が必要なのです。
★ドイツのベーテルでは、ナチスのしょうがい者抹殺政策に抗して、「神は生きるに値しない人間を決して創られなかった」と言って人々はその命を守り抜きました。このような闘いを闘い抜くために、むしろ「弱さが必要」なのです。「お空は飛べない」、「きれいな音はでない」。そんな「出来ない」自分自身をそのままに「いい者」として愛する愛情が是非とも必要なのです。この同じ「弱さ」を違うみんなが一緒に生きているんだという熱い思いが必要なのです。
by oji-church | 2010-08-05 10:10 | 牧師からのメッセ-ジ