日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


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クリスマスこどもとおとなの合同礼拝
12月21日(日)午前10時30分
説教「すべてのいのちが祝われる日」
(ルカによる福音書第2章1~21節)
大久保正禎牧師

【讃美歌】261.260.258.419.64.92-3
【招詞】ヨハネによる福音書3章16節
【交読詩編】リタニーを用います。

(写真は、トルコ・カッパドキアの洞窟教会の壁画です。牛・馬がかわいいでしょう?)
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by oji-church | 2008-12-19 18:50 | 全体のお知らせ
「クリスマスという居場所」

《彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた」(ルカ2:6~8)
★今年はクリスマスが近づくにつれて、だんだんと心のおもてに立ち現れてくる或る人の面影がある。10月に天に召されたある方の前夜式の晩、まもなく式が始まろうという時、呼び出されて出てみると、教会の玄関に一人の男性が立っていた。いかにも野宿をしているという場違いな風体に、周囲の人たちも戸惑いを隠ずにいる。わたしも取り込み中の忙しい時にと、ずいぶんな迷惑顔をしていただろう。
★野宿をしており、役所の窓口も追い返され、何も食べておらず、身体が痛む…。延々身の上が始まる。わたしの方は、弁当や電車の切符を買って渡せるが、金はやれないの一点張り。「なら、いい」と一旦帰ったのに、また来た。「やっぱり、弁当がほしい」。わたしはやけくそで、前夜式直前に教会を離れて、一緒に弁当を買い、大宮まで行ってみるというので、大宮まで切符を買い渡して、あとは電話代と称して二百円ばかり渡して駅で別れた。厄介払いをしたのだ。
★数日後、教会のインターホンが鳴る。見るとあの男性の姿。また来た。出るのためらったが身体は玄関に向かっていた。一緒に飯食いながら話を聴く。東北に実家があるが、兄弟の名義で他人に賃貸しているので帰りたくても帰れない。ここ数年飯場に住み込んで仕事していたが、めっきり仕事が減り、飯場の家賃を取られる一方なので大宮に出てきたが、そこで荷物を盗られた。以来二週間の野宿生活。寝ていたところを若者の暴行に遭って怪我をし、寒さをしのごうと歩き回って足も腫れている。飯田橋にある野宿者支援グループと連絡を取り、そこの協力で行政の窓口に交渉したいと本人も言うので、一緒に事務所まで送ってゆき、そこで別れた。以来連絡はない。
★聖書のクリスマスの場面のぬくもりは、こういう人のためのものだ。暖かい教会堂の中で迷惑顔をしているだけのわたしは、クリスマスの場面に登場場面を持たない。(おおくぼ)

(写真は、教会の玄関のツリーです。質素ですが、個人的にはこのくらいがちょうどいいと思います)
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by oji-church | 2008-12-19 18:25 | 牧師からのメッセ-ジ
「愚かな生まれだが」

★文明を重ねる中で人間は、非常に大きな賢さを我がものとしてきました。しかしその賢さがいま、武器を生み出し、人間同士の殺し合いを引き起こしています。賢さが、持てる人々の富をさらに膨らませ、持たざる人々から生きるために必要な者を奪い取っています。その果てに、もはや人間がこの地球上に生きることができなくなる、そのような道のりを人間の賢さは辿ってきています。人類全体のことばかりでなく、わたしたち一人一人の人間も生きてくる中で、いわゆる「世渡り」的な知恵を、自分にとっての損得を勘定する賢さを、幾分かずつ、身につけてきていることでしょう。
★その果てに、わたしたちは自分自身を愛することができなくなってしまい、与えられた命ありのままの自分自身を偽り、隠して生きるようになってはいます。わたしたちは本当にありのままのお互いの姿と出会い、それを許し合い、受けとめ合うことができない闇の中に、一人一人、孤独に手探りで生きている。わたしたちは、自分自身の賢さが作り出した暗闇の中を、生きているのではないでしょうか。
★その闇のただ中に、一筋の光としてクリスマスの出来事は起こった。イエス様は、わたしたちが目指している賢さとは違うものの中に生まれたもう。敢えて闇の中にもう一度、客間に余地がない場所に、馬小屋の飼い葉桶の中に生まれたもう。賢さを目指す人間の目には、それは愚かな生まれに映るかもしれません。けれども、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い、と聖書は告げています。愚かにも、再び暗闇の中に生まれてくるキリスト、イエス様、このイエス様の愚かさによってこそ、むしろわたしたちは、もう一度闇の中から引き出され、あの最初に神様がわたしたち人間を造って下さった時の光の中へ、「見よ、それは極めて良かった」祝福され、命を愛し共に生きるようにと送り出される新しい光の中へと、導かれることができるのです。
by oji-church | 2008-12-10 10:04 | 牧師からのメッセ-ジ
「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」
(ルカによる福音書2章7節)


聖書のクリスマス物語は、イエス様が、明るく整った宮の中ではなく、馬小屋の飼い葉桶の中に生まれたことを伝えています。今も世界の多くの場所で戦乱がうち続き、悲しい出来事が後を絶ちません。しかしクリスマスは、世の光のおよばない暗闇の中で、悩み苦しむすべての人々とともに、神様がおられる喜びが告げられた日です。王子教会は、この喜びを多くの方々とともに分かち合い、ともに世の平和を祈りたいと願っております。ぜひともクリスマスには、教会にお越しください。お待ちいたしております。

クリスマス礼拝
12月21日(日)午前10時30分~12時
お話「すべてのいのちが祝われる日」
大久保正禎牧師
*礼拝後、軽食を囲んで、お祝いの会も行います。どなたでもご参加いただけます。

クリスマスイブ・キャンドルサービス(燭火礼拝)
12月24日(水)午後7時~8時30分
*キャンドルの灯火の中で賛美歌を歌い、聖書を読み、祈りの時を持ちます。
 どなたでも、ご参加いただけます。

今年も、知り合いの在日難民申請者の方が、クリスマスカードの絵を描いてくださいました。
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by oji-church | 2008-12-10 09:48 | みちばたの教会
12月4日に、教会の祈祷会に集まる人たちと一緒に、駒込にある庭園「六義園」の紅葉のライトアップを見に出かけました。紅葉がいろいろな光に照らされて、幻想的な雰囲気を味わうことができました。
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by oji-church | 2008-12-10 09:34 | みちばたの教会
「無関心という暗闇」

《初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。》(ヨハネによる福音書1章1~5節)

★ナチスによるユダヤ人の強制収容所での虐殺を生き延びたエリ・ヴィーゼルという作家がこんな言葉を語っています。「愛の対極にあるのは憎しみではない。無関心である。美の対極にあるのは醜さではない。無関心である。知の対極にあるのは無知ではない。それもまた無関心てある。平和の対極にあるのは戦争ではない。無関心である。生の対極にあるのは死ではない。無関心、生と死に対する無関心である」。 第一次世界大戦後の経済的に急迫するドイツで、自分の生活第一で、隣人の存在への無関心から、ナチスの横暴が生まれてきたことを見て取っている言葉かもしれません。
★先頃日本では首相が高齢者の医療費に関わって「何もしない人の分の金を何で私が払うんだ」と発言しました。隣人の存在を見ることのできない無関心という暗闇の中に生きる人の発言であると思います。
★しかしながら、わたしたち自身それぞれが、いまの時代のただ中で、同じような暗闇の中に生きているのではないでしょうか。それぞれが自分自身の問題を大きく抱えて手詰まりで、隣人と共に支え合うことに対しては、全く無関心です。しかし本来、一人の人が抱える問題は、その人一人で片付くものではない。むしろ、問題を抱えるその人が、やはり問題を抱える別の隣人を支え、その別の隣人が、問題を抱えるその人を支え、そんな互いに支え合う関係の中で、新しい展開が生まれてくるのでしょう。
★クリスマスを待ち望む時、無関心という暗闇の中に、共にあろうとする「言」(ことば)の来たらんことを待ち望みたいと思います。(おおくぼ)
by oji-church | 2008-12-04 10:25 | 牧師からのメッセ-ジ