日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


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「文明の十字路(?)に立って」(3)

★人間というのは、力を持って隣人を征服して、その隣人が築いてきた文化を踏みにじって、自分の持ち込んだ文化によって塗りつぶしてしまうということを繰り返し行ってきたのかもしれない、と改めて感じさせられました、キリスト教自身もそういうことを行ってきているのです。
★日本ではそうした文化の重なり合いというのはあまり感じられないかもしれません。けれども、実は日本にも、いわゆる「日本人」=大和民族以外の文化はアイヌの人々や沖縄の人々、あるいは日本にやってきた中国や朝鮮の人々の間に古来あったし、現在も海外からやってきている外国の人たちそれぞれ固有の文化というのが、日本国内にも多様にあるはずなのです。
★かつて戦争の中で日本は実際に、朝鮮や中国その他アジアの各地の文化を、日本の大和民族の文化一色でもって塗りつぶしてしまおうということを企てました。今現在も多様な文化の重なり合いが日本ではあまり感じられないというのは、実はいまも日本が、それら多様な文化を排除して、大和民族の文化一色に塗りつぶしてしまっているからではないかとさえ思えてきました。
★現在の日本では、外国人は、人権という観点から見ると、「存在しない」ことになっていると言っても過言ではありません。ましてや、様々な事情で在留資格を持たない外国人は、まさに日本という「一方通行路」のまっただなかに取り残されているといって良いでしょう。隣人のいのちの有様を塗りつぶしてしまうことなく、互いのちがいを受けとめ合いながら、共存していく道を見いだしてゆくことは、わたしたちに可能でしょうか。
★お互いの、生きることの痛みや喜びを、感じ受けることのできる感受性を養うことによって、「一方通行路」ではないその道は、ようやく見いだされるのかもしれません。初めての個人的な海外の旅で、そんなことをつらつらと考えさせられてきました。(おおくぼ)
by oji-church | 2008-05-29 17:26 | 牧師からのメッセ-ジ
「文明の十字路(?)に立って」(2)

★現在のトルコの西側地域には、キリスト教以前にもペルシアの歴史と伝統があり、それ以前には、そもそもの文明の発祥であるメソポタミア文明の歴史と伝統がありました。このメソポタミア文明時代やペルシア時代の伝統を引いているのが、わたしたちが王子教会で、「難民」として出会っているクルドの人たちなのです。
★イスタンブルのホテルでの夜、何とはなしにテレビのニュース番組を見ていました。もちろんトルコ語ですので何を言っているのか分かりません。けれど、ニュース番組が始まって間もなく、戦闘機が爆音を挙げて出撃し、爆弾が落とされ、爆発が起こり、といった映像がしきりに流されました。そしてニュースキャスターの声は、しきりに「…テロリスト…テロリスト…」と繰り返しています。トルコ軍によるクルドのゲリラ組織の掃討作戦の模様を伝えるニュースだと分かりました。トルコでは「クルド人」という民族は存在しないということが公式見解となっているそうです。ですからニュースのキャスターは「クルド人」と呼ぶ代わりに「テロリスト」と呼ぶのです。クルド人の側から見れば、生まれがクルド人であれば、何の落ち度が無くても「テロリスト」という烙印を押されてしまうということです。クルドの人たちの歴史や文化が塗りつぶされてしまっている様子が、かすかに伝わってきました。
★トルコは、しばしば「東西文明の十字路」と呼ばれますが、あちこちからの交通が自由に行き交うはずの「十字路」とは、にわかに呼びがたい気もしてきました。むしろ、十字路を強引に「一方通行路」にしてしまい、他の交通を遮断してしまう、というのが、人間がしばしば歴史の中で行ってきたことかもしれません。クルドの人たちは、いわばその、強引に「一方通行路」にされてしまった「十字路」の真ん中、車がビュンビュンとスピードを出して走っていく真ん中に取り残されてしまっている状況なのかもしれません。車にはねられたとしても、この「十字路」には歩いている人間など「存在しない」ことになっているのです。(まだつづく)
by oji-church | 2008-05-23 17:46 | 牧師からのメッセ-ジ

「最後の道の向こうへ」

5月11日に教会でアートワークを行いました。難民の方々は、日本で難民認定されないまま、生活の手段も、将来の展望も奪われて、自尊心をズタズタに傷つけられています。どんどんと狭くなっていく、しかし終わりのない「最後の道」を歩かせられています。何とかこの「最後の道」の「向こう」へと突き抜けられればよいのですが・・・。(おおくぼ)
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by oji-church | 2008-05-15 13:29 | みちばたの教会
「文明の十字路(?)に立って」

★先週は、休暇をいただいてトルコに旅行をしてきました。仕事や研修でない自由な海外旅行は初めての体験でした。旅の詳細はまたゆっくりとお話できればと思います。
★トルコは基本的には宗教の自由は保障されていることになっていますが、実際に行ってみると、やはりイスラム色が濃い気がしました。イスタンブールのような都会でも女性の半分くらいはスカーフをかぶり、体の線の分からない服を着ています。カッパドキアのような田舎では、観光客以外の女性の姿はあまり見かけませんでした。
★しかし、現在トルコ共和国のある小アジアは、15世紀にオスマン帝国に征服されるまで、ビザンチン帝国の首府、東方キリスト教の中心地でした。今回の旅行の目的の一つは、ビザンチン時代のキリスト教の壁画やモザイク画を見ることでもありました。でも、それらを見て歩く内に、複雑な気分になってきました。
★例えば、アヤソフィアというイスタンブールの聖堂。これは、ビザンチン時代の初期、4世紀に建てられたものです(現存の建物は、暴動による破壊の後、6世紀に再建されたもの)。しかしオスマン帝国の征服後は、イスラム教のモスクとして用いられました。その後、20世紀初頭、トルコ共和国を打ち建てたケマル・アタチュルクの近代化で、トルコはイスラム国から世俗化され、アヤソフィアは今度はモスクから博物館とされました。その後の調査によって、壁のしっくいの下からビザンチン時代のキリスト教のモザイク画が発見されます。オスマン帝国はアヤソフィアをモスクにする際に、イエスやマリア、その他の聖人を描いた壁画を「偶像崇拝」としてすべてしっくいで塗りつぶし、イスラム文様をその上に描きました。現在はそのしっくいをはがして、壁画の修復が進められています。
★いわば、アヤソフィアには、ビザンチンのキリスト教、オスマンのイスラム教、そして近代という三層の文明が重なっているのです。その中でオスマン帝国はキリスト教の壁画を塗りつぶし、近代以後のわたしたちは、その上に丁寧に描かれたイスラム文様のしっくいをはがしているのです。(つづく)(おおくぼ)

*写真は、アヤソフィア内部のしっくいのしたから出てきたモザイク画
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by oji-church | 2008-05-15 13:11 | 牧師からのメッセ-ジ