日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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「あてにならない抱負ですが」

★「年頭の抱負」というものがありますが、年頭に抱負を考えることはしないようににしています。正月くらいは頭をカラッポにのんびりしたいものです。いつも今くらいの時期になってから、さて今年の自分にとっての課題は何だろう、なんて考えたり、考えても思いつかなかったりしています。
★昨年思い至ったのは、「整理整頓」だったでしょうか。結果、達成度3パーセントくらい。ほとんど変わらないまま1年をすごしたのでした。ので、そのまま「整理整頓」を今年の抱負に掲げてもいいのですが、幼少期からの課題が1年で片付くはずもなく・・・、というのがこの抱負を掲げてから1年を過ごしての感想です。
★さて、気持ちを改めて「整理整頓」はきれいさっぱり片付けて(?)今年の抱負を考えてみました。もともとあまり人と話をするのは得意ではなかったのですが、皮肉にも牧師という仕事に就いて、人に話をしたり、文章を書いたりすることの多い生活です。時に、しゃべり散らしたり、書き散らしたりしていることもしばしばでした。
★しかし、こういう言葉というものの持つ「力」を改めて感じさせられています。というのも、言葉が何か「いいこと」を生み出す力よりも、むしろ言葉が「悪いこと」を生み出すためにその「力」を発揮することの方が多いのではないかと、このところしきりに思うのです。言葉が人を傷つけたり、人の生活や命さえも破壊してしまう力を時に持つということ。ですから、自分の言葉が「いいこと」を生み出すことを期待するまえに、自分の言葉が人を傷つけたり、人の生活や命を破壊してしまうものでないかどうか、よくよく点検を怠らないことが大事なのかもしれないと思うようになりました。強いて言えば、今年の抱負は「自分の言葉に気をつけろ」でしょうか。(大久保)
by oji-church | 2008-01-31 11:19 | 牧師からのメッセ-ジ
「『高齢化』という新しさ」

★先週1月14日に王子教会の所属する日本キリスト教団東京教区北支区主催の信徒大会がありました。主題は「主の愛に生かされて共に生きる~すべての年代を超えて」。とくに高齢者のことがらについて話し合いがもたれました。
★教会の「高齢化」が言われるようになって久しくなります。王子教会もその例外とはいえません。わたし自身、まだまだ若輩の身で、この「高齢化」については、あまり積極的な、希望ある思いを持てずにずっと来ていました。
★けれども、先の信徒大会でさまざまな教会が「高齢化」の波の中にあって、教会員同士が支え合いながら、さまざまな取り組みをしていることをお聞きして、少し希望を持つこともできたように思います。「高齢化」の波の中で、「青年に伝道しなくては教会の未来はない」というようなことを言う人もいますが、高齢の方を巡っても、教会として新しい取り組みが出来ることを教えられました。
★確かに、社会全体の「高齢化」の中にあって課題は多くありますが、課題を与えられるということは同時に、それを乗り越える「新しい発想」を生み出す出発点を与えられるということでもあると思います。願わくは、頭の中だけは「高齢化」せずに、柔軟な発想を持つことができれば、決して希望がないなどとはいえないことを思わされました。(大久保)
by oji-church | 2008-01-26 11:30 | 牧師からのメッセ-ジ
「都会の正月に思うこと」

★新しい年が明けて、わたしにとっては、東京という大きな街の教会の牧師となって、3年と4ヶ月がたったことになりました。地方(といっても千葉ですが)の、ヒマではないけれど、どこかノンビリした教会とその周りの環境から飛び込んできました。
★もともと東京生まれの東京育ちでしたが、東京で「牧師」という人と触れあう仕事をするのがこれが初めてです。不安もありましたし何をどうしたらいいのか分からない面も多々ありました。これまでの3年間は教会の会堂建築の働きに紛れて、改めて東京にある教会ということを意識しながら、教会について根本的に考えることは出来ませんでしたし、敢えて避けてきた面もあったかもしれません。
★が、やはり改めて腰を据えて考えてみなければいけないのだろうというのが、今年の念頭に沸き上がった思いでした。やっぱり東京といえば、人の数も多く、個性も、課題や悩みも、いろいろ抱えた人がいるのだな、というのが率直な思いです。そしてとりわけ、このところ社会でも大きくクローズアップされている「格差」ということも、多くの人と触れ合う中で身近な事柄として、如実に感じさせられることです。
★教団の中では教会の「高齢化」の中で「教勢」や「伝道」とりわけ「若者への伝道」といったことが大きく課題として挙げられています。しかし、そういう抽象的に煽られた危機感は結局、闇雲に競争を煽り、一人ひとりの人の個性や多様性、個々の人の悩みや痛みを押しつぶしながら、ただ組織の数字上の延命をめざすものになっていってしまうでしょう。
★わたしたちの教団は、かつての戦時下、教団という「組織」を守るために、一つ一つの教会の課題、一人ひとりの教会に集う人々の悩みはうち捨て、切り捨てて、ひとかたまりに戦争への協力へと突き進んできた歴史があります。いま、教会にとっても、国内、あるいは世界の情勢にとっても危機的な状況の中で、単に危機感に煽られるのではなくて、どれだけ冷静になって〈個〉や〈多様性〉を尊重しながら一人ひとりの「いのちの事柄」に触れあい、寄り添うことができるか、それこそが問われているように思います。(大久保)
by oji-church | 2008-01-26 11:29 | 牧師からのメッセ-ジ
「ともし火をともす」

★昨年の世相を表す漢字には「偽」という漢字が選ばれました。食品の偽装や、建物の偽装、国会での偽証などが相次いだ結果でしょう。現代は世界が広く結び合わせられ、複雑化し、何かを偽っていても、思いの外簡単に人の目を欺くことが可能になっていることを表しているのかもしれません。狭い世界の中では、自分を偽ることは難しく、正直な自分を偽らずに生きていくより他ありませんが、世界が広くなり、競争が激しくなると、自分を偽らないことには生きていくことさえままならない状況に世界はなってきつつあるということかもしれません。
★「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものをすべて照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい」(マタイ5章14節)。マタイではこの後に「人々が、あなたがたの『立派な行い』を見て…」という言葉が続きますが、この言葉は、もとはそういう「立派な行い」を奨励する言葉ではなかったように思うのです。むしろ世間からさげすまれ、うとんじられていた人々に、あなたがたは世の光ではないか…と励ましを呼びかける言葉だったのではないかと思います。苦難の中にある人の、ありのままの姿の中に、本来の人間の人間らしさが示され、それが神様に祝福されているのだというイエスの「福音」が込められている。新しい年、自分を偽ることなく、この「福音」に従ってゆくものでありたいと願います。(大久保)
by oji-church | 2008-01-10 10:40 | 牧師からのメッセ-ジ