日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


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e0088612_1354188.jpg6月24日(日)、新しい会堂で、教会学校もともども、初めての礼拝を持ちました。


e0088612_135555.jpgまだ荷物がゴタゴタしているし、椅子も臨時のものですが、久しぶりに「居場所」を与えられた気持ちでした。でも、これからまだまだ「片付け」がエンドレスに続くかも・・・。
by oji-church | 2007-06-28 13:06 | 全体のお知らせ
 「癖組み、心組み」

★「堂塔の木組みは寸法で組まず木の癖で組め。木の癖組みは工人たちの心組み。工人たちの心組みは匠長が工人らへの思いやり。百工あれば百念あり、これを一つに統ぶる。これ匠長の器量なり。百論ひとつに止まる、これ正なり。百論を一つに止めるの器量なき者は謹(つつし)み惧(おそ)れて匠長の座を去れ」(『木のいのち 木のこころ 天』西岡常一より)
★代々法隆寺の改修に仕えてきた宮大工の棟梁には、昔からの口伝えとして上のような言葉が伝えられているそうです。千三百年にわたって法隆寺を支えてきた材木には、まっすぐな木は一本もなく、どれもねじれる癖を持った材木ばかりだそうです。その癖をうまく組み合わせるのが飛鳥時代の宮大工の器量だったといいます。
★法隆寺のような巨大な建物も、ただ木を組み合わせて造ればいいというわけではなく、結局は「人の心組み」であり、「匠長が工人たちへの思いやり」なのだと言われます。
★ようやっと、王子教会の新しい会堂が建ち上がり、その中で礼拝を行う日がやってきました。しかし、そこで人の心が組まれているのでなければ、どんな見栄えのする建物も、「教会」としては「書き割り」のようなものに過ぎないでしょう。
★「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ18章20節)。イエス様がここで建物についてはひとことも触れず、ただ、一人ではない「二人または三人」の人間と、そしてイエス様の「名」だけを挙げていることを改めて心に刻みたいと思います。(大久保)

ようやく新しい会堂が建ちあがりました。多くの方々の厚いご支援に深く感謝申し上げます。
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by oji-church | 2007-06-28 12:58 | 牧師からのメッセ-ジ
6月24日の礼拝から、新会堂での礼拝を開始します。まだ荷物が整わない状態ですが、臨時の形で行いたいと思います。会場をお間違えのないように、よろしくお願いいたします。
by oji-church | 2007-06-06 17:27
違う道を歩く意志

★今日の説教でお話しする見城慶和先生は、本の中で、先に改訂されて葬られた旧教育基本法の第1条を引用しています。「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」。
★この目的を達成するために義務教育があり、そうであれば本来「義務教育がきちんと保障されれば、高校や大学に行かなくても、個人の尊厳が生かされた人生を誰でも送れるはず」なのに、「個性よりも点数が重視され、…ストレスを抱えながらいやいや学校に通う子供を生み出している」ように思うと書かれています。
★名門の私立小学校でプレッシャーに押しつぶされ、1年生の二学期から不登校になり中学校は全欠となったある女の子は、夜間中学で、国籍も年齢も違う生徒達とすぐに仲良しになり、見違えるほど豊かに大らかになりました。彼女が卒業式に読み上げた「別れの言葉」です。
★「人はそれぞれです。違うから価値があるのです。登校拒否をして、回り道をしてしまいましたが、百人いれば百人の人生があるのだから、私は私と胸を張って、これからも生きて行こうと思っています。登校拒否の子供は、意志が弱いのではなく、意志が強いのです。なぜなら、みんなと違う道を歩くという事は、大変なことだからです」。
by oji-church | 2007-06-06 15:32 | 牧師からのメッセ-ジ