日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


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難民絵画の会(3月25日)

3月25日に難民絵画の会がありました。描いたのは、山から流れ、海へと注ぐ川の絵です。題は「安心」としました。様々な紆余曲折を経ながら、しかしやがて広い海へとたどり着くことができるように、そういう希望を持てるように、との願いのこもった絵です。(大久保)
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by oji-church | 2007-03-29 12:09 | みちばたの教会

カメはいいなぁ・・・

教会仮事務所近くの「名主の滝公園」の池にて、カメを発見。ひなたぼっこ中です。カメって何だか好きだなぁ。子どもの頃、拾ったカメを育てていましたし(しばしば脱走していたので、最後には、甲羅に白いペンで名前と住所を書かれていましたが)。(大久保)
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by oji-church | 2007-03-29 12:00 | みちばたの教会
いつ咲くか、いつ咲くかと思っているうちに、あっという間に桜が花開いています。王子の界隈は、もう桜で一杯です。いちばんいい季節ですが、なかなかゆっくり花に親しんでいるいとまがありません。(大久保)

(写真は、王子駅裏の音無親水公園の桜です)
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by oji-church | 2007-03-29 11:46 | みちばたの教会
「人間のいのちを愛する人間らしさ」

★先週水曜日、日本に来られた難民Fさんの「強制退去」の取り消しを求める裁判の高等裁判所判決がありました。1時15分の開廷の後、裁判官が判決を読み上げました。「主文、原告の請求を棄却する」。以上、終わり。時間にして5秒で終わる裁判でした。
★本人にとっては命からがら迫害から逃がれてきた日本で、必死になって願い求めてきた難民認定です。裁判官といえども、法律の解釈はどうあれ、本人が耐え難い苦悩のうちに置かれていることは、人間として感じ取れるはずです。それを5秒で握りつぶす裁判とは何なのだろう。どこか「人間的な部分」を殺してしまわない限り執り行うことのできない裁判です。
★Fさんは以前こうした日本の難民認定制度や裁判制度を「腐ったショーを見ているみたい」と評していました。今度は「あの人達(裁判官たち)人形みたい…」と裁判後つぶやいていたのが印象に残ります。
★母国政府の残虐を前にして、誰よりも人間の命を愛して、誰よりも人間らしく生きようとしてきたFさんが、ありとあらゆる人間的な希望をはぎ取られていくのを前にして言葉がありませんでした。
★わたしたちは今日本の社会の中で「仲間内」の気安さを守ろうと必死になる中で、何か本当に大切なもの、「人間のいのちを愛する人間らしさ」のようなものを、知らず知らずのうちにどんどんと失っていってしまっているように思えてなりません。
★「人はたとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価が支払えようか」(マルコ8:36~)
by oji-church | 2007-03-20 10:29 | 牧師からのメッセ-ジ

梅は咲いたか・・・

教会の事務所に向かう途中、名主の滝公園の道ばたに、小さな梅の木が可憐に花を咲かせていました。3月に入って、寒い日が続いていますが、桜が咲くのはいつ頃になるのでしょうか。(大久保)
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by oji-church | 2007-03-13 17:30 | みちばたの教会

難民絵画の会

またまたしばらくアップするのをサボっていましたが、難民絵画の会で描いた絵です。
今年3月に入って描いたものです。大きな木を描こうということで描きました。なんだか不思議な木の絵になりました。(大久保)

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by oji-church | 2007-03-13 17:19 | みちばたの教会
「部落解放の集会に参加して」

(今回は、教会員のF・Kさんが、書いてくださいました)

★北支区と東京教区の上記の集会が2週連続で開かれた。
★今まで、社会部主催の集会に参加したことはあったが(北支区常任委員で社会部担当をしていた)、部落解放関係のものには、縁がなかった。
★牧師から「ひだりて」に感想を書いてほしいと依頼されたので寄稿します。
★北支区の集会には教団部落解放センターのメンバーの東谷誠さんという方が、自分の娘の結婚の際のいわれもなき差別にあった話をされた。自分たちは、そのような時、耐えられるかな? と思った。娘さんの歳もわが娘とほぼ同じくらい。身につまされた。ぼくが若かりし頃、フォークシンガー・岡林信康の「チューリップのアップリケ」という歌が、まさに、被差別部落出身者の歌だった。あれから半世紀とまでいかなくても、まったく何も変わらない。あの歌を聞いたとき、いつかそんな差別がなくなる時代がくればいいなぐらいの感想だった。自分ではどうしようもできない差別。自分で、何らかの方法で乗りこえることのできるもので、自分の力不足でできないのなら、あきらめもつく。力をつければいいことなのだから。部落の歴史については、学べば学ぶほど、その形成の奥底には、人間の罪のようなものが横たわっている。そして、大久保牧師の説教を通して、その罪をイエスが生き方を通して負ってくださった。だからイエスを主として告白するということと部落差別をしないということと同じだと思う。社会の不条理なものと闘うことと教会形成とは切り離されるものではないと思う。イエス自身が、命を懸けてそういう社会の不条理と闘った。差別されたものと食事をし、ともに生きたことは聖書の全体の流れ(とくに福音書はそうだ)である。ひとりひとりの心を解放するのが先決で、それから社会の問題を考えるのが教会の本来の姿だという考え方には与したくない。いや、与してはならない。(あまり、ねばならないということばは使いたくないのですが……)。少なくとも、そういうものと闘っている人たちの邪魔はしない。ひとりひとりができる形で、応援したい。
★東京には被差別部落は存在しないという見方がある。でも、東京に被差別部落出身者がいないなんてことは、決してあるわけない。被差別部落という形で見えないだけだ。もし、彼らが、この教会に来られたとき、知らず知らずのうちに、彼らを傷つけてしまうということだって、あるはずだ。見えないだけに、その可能性の方が大きいと思う。まず、教団の部落解放方針を読むことから始めたい。
★大久保牧師が来られて、マルコによる福音書の連続説教を通して、頭の中に「もやもや」と生まれたものが、この二つの集会を通して、いくぶん「スッキリ」したことは確かなことです。
by oji-church | 2007-03-13 17:08 | 牧師からのメッセ-ジ
「時のしるし」

★わたしの母は今年67歳になる、特に政治的なところもないごく普通の主婦でしたが、幼時戦時下にあって空襲の火の海の下を逃げまどった経験から戦争についてはずっと反対の立場です。わたしや姉の小学校卒業式での日の丸掲揚、君が代斉唱についても、反対の意見を学校の先生に申し入れていた記憶があります。やはり戦争を生身で経験した人の思いの中には、戦争に結びつくものへの直感的な嫌悪感が息づいているかもしれません。
★先週、小学校の卒業式で君が代の伴奏を拒否した教諭に対する処分の撤回を求める訴訟が、最高裁で原告側の敗訴によって結審しました。教諭は、君が代が過去の日本のアジア侵略と結びつくものとして、卒業式においてこれを伴奏することを拒否しました。
★さかのぼれば、すぐそこに戦争によっていのちを傷つけられた人がおり、そのいのちの痛みへの反省から歴史を省みて、正しいことと間違ったこととをわきまえていきたいという思いが、そこには息づいています。
★それにもかかわらず、このいのちの声に耳を閉ざして、国の儀礼の秩序を優先してしまうことは、やはりいのちを損なう人間の振る舞いだとは言えないでしょうか。
★「時のしるしを見分けなさい」(マタイ16:1~4)というイエス様の呼びかけは、こうしたいのちの声に耳を傾けなさいということなのではないでしょうか。(大久保)
by oji-church | 2007-03-07 17:40 | 牧師からのメッセ-ジ